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夏目房之介の「で?」

7月19日東京自由大学講演「日本漫画文化を読み解く」第二部

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第二部 マンガにみる「死生観」

5)父の死と高齢化社会 「死生観」の時代

父の死(99年2月14日 死の受け入れと感謝と共有
 キュープラーロス「死ぬ瞬間」 怒り・取り引き・抑鬱・受け入れ

6)戦後マンガの戦争体験と「死」 手塚治虫と水木しげる

戦後マンガに主要登場人物の「死」をもたらした手塚

図1 戦時中に描かれた手塚マンガ中の「死」を願うロボット 
〈サビシク コハレテ ユクノヲ マツテイルノデスガ、イツソ ダレカ イツペンデ コハシテクレナイカ〉手塚治虫『幽霊男/勝利の日まで』「手塚治虫 過去と未来のイメージ展」別冊図録 朝日新聞社 95年 99~100p

死なないはずのもの(マンガのキャラ、ロボット)の「死」
 マンガ的な身体表象が「死」と「人生」を内面化する
参照 大塚英志『アトムの命題』徳間書店 03年 伊藤剛『テヅカ イズ デッド』NTT出版 05年

死ぬはずだった青年の戦後の「生」=マンガだった手塚
 戦後の価値であった「異者の和解」のための犠牲「死」
→『火の鳥』循環する「生死」 70年を越えて「個」へと向かう?

図2 『ブッダ』(72~83年) 自説に行く末に終着するブッダ
 手塚44~55歳 自意識の恐怖としての死 手塚の作家としての自意識?
図3 『陽だまりの樹』(81~86年) 手塚良仙のぼけと自然な死
 同53~58歳 良庵の言葉=伝統的な死の受け入れ 一種の理想
 残された者にとっての死者=他者・関係としての死

水木しげるの死と安逸
図4  『総員玉砕せよ!』(73年) 戦争体験 生きた兵の指をとる場面
 極限状態での死の当たり前さ ボートの後で突然いなくなる戦友
 劇的でなく、すぐ死が隣にあった体験 倫理理念の向こう側へ
図5 『丸い輪の世界』(68年) 街角にある異界 水木マンガの異界の安逸 
水木マンガ=異界・死の世界からの遠い視線
 手塚と対極 土俗的異界の復活(戦後60年代までの社会の矛盾

7)マンガにおける死と異界のイメージ

図6 杉浦日向子『百日紅』(83~87年) 「因果娘」 母の手を肩に見せ物となる 白粉をする=業の受け入れ 近親死者の異界を引き受ける 自分の生への逆照射

 世界を裏返しに見る体験としての死 → 生の逆照射
 臨死的類型イメージ(個)+地域文化的イメージ・倫理・理念(関係)
 他者・関係としての死=悲しみ・恐怖 個への引き受け=安逸としての死

 生きること・この世界への二重視線 裏と表 生きるのが楽になった体験

図7 しりあがり寿『弥次喜多in DEEP』(97~02年) 
 ヤジ 桜の花粉症によるくしゃみで離魂 カラオケ 安逸な臨死的イメージ
 キタ 花びら絨毯の下の腐乱少女と添い寝 共同生・関係と対・個
 関係の解け合い・融合と死を受け入れる個の楽しいイメージ

死の向こう側の視線による考え方・生の逆照射→福祉・高齢化社会・近代化主題の終焉
 いかにうまく、できれば楽しく死にゆくかの課題へ

図8 高橋しん『最終兵器彼女』(00~01年)
 言葉の映像化 セカイ系的なリセット感 世界「死」と個人「死」

図9 清水玲子『秘密』(99年~)
 脳内イメージ=映像メッセージとしての「死」 内面に侵犯する暴力性

現代社会における「生死」の様々な水準 思想的な対置

図版
図1 手塚治虫『幽霊男/勝利の日まで』「手塚治虫 過去と未来のイメージ展」別冊図録 朝日新聞社 95年 100~101p
図2 手塚治虫『ブッダ』12 潮文庫 93年刊 248p
図3 同『陽だまりの樹』9 小学館 86年刊 79~80p
図4 水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社文庫 95年刊 42p 89p
図5 同『丸い輪の世界』 『水木しげる妖怪まんが集3 幻想世界への旅』所収 ちくま文庫 86年刊 66p
図6 杉浦日向子『百日紅(下)』杉浦日向子全集4 筑摩書房 95年 203p
図7 しりあがり寿『弥次喜多in DEEP』1 アスペクト 98年刊 158~159p 164p
図8 高橋しん『最終兵器彼女』7 小学館 02年 268~269p 274~275p 300~301p
図9 清水玲子『秘密』白泉社 01年 123p

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