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夏目房之介の「で?」

佐々木マキとマンガ言説の変容

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学習院・身体表象文化学コースの僕のゼミで、博士課程K君による佐々木マキに関する発表があった。
前回の同じく博士課程U君のキャラクターに関する発表もヒジョーに面白かったのだが、今回の佐々木マキは、何せ僕自身高校~大学の頃夢中になり、その分析から僕の表現論が胚胎したという作家なので、もう面白いの何の。

K君は、僕の仕事場のガロからコピーを取っていったのだが、やっているうちに佐々木マキを巡る、おもにガロ読者欄のマンガ論的言説に興味が移ったらしく、まさにガロによるマンガ青年化とその言説の成立の瞬間に立ち会うようなスリリングな発表となった。
じっさい、短い時間に信じられない分量の読者欄の文章を起こし、傍線を引いた膨大なレジュメには、僕がほとんど忘れていた様々な観点からの言及があり、とくに白土三平派とマキ派、またそれとは別のマキへの批判的観点など、まことに示唆的で刺激的な指摘の数々。

コミックパーク「マンガの発見」連載でガロの読者論をしばらくやったこともあり、これはぜひもう少しまとまった論文なり報告なりにまとめてほしいものだった。
白土の登場による戦後マンガ言説の駆動が、同じ媒体に登場した佐々木マキによって大きく変容し、それが日本の高度情報社会、大衆消費社会への急激な変化を背景にした批評言説や人間論(「内なる本質」から「表層表面」へ)、「大きな物語の喪失と断片化」という急角度の変化に対応したものだった・・・・という発表後の議論は、まさに僕が前々から感じて言葉にしようと四苦八苦してきた問題系だった。石子順造の論やマクルーハンの援用も、その文脈でとらえかえせるだろう。のちに村上春樹がマキの影響を語る意味もまた・・・・。

何より驚いたのは、のちに僕が展開するマンガ論って、結局、ほとんどガロの読者欄からきてんじゃないのっていう素直は印象だった。おそらく、当時まだ高校生でそんな難しいこと理解できない読者だった僕は、しかしどこかでその議論をおぼえていて、反芻し、それを自分の議論に反映したことをすっかり忘れてしまったのだ。

やはり、このあたりの言説をきちんとさらうことで、今にいたるマンガ言説史を検証する必要がありますなー。やー、この忙しいのに、面白かったもんだから、また学生諸君とメシ食ってしまったよ。早めに帰ったけどね。やっと夜話の読書は『ハチクロ』に入ったよ。

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