オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

小学校のクラス会

»

日曜に、高輪台小学校に小学校5~6年担任でいらした歌川先生をお呼びして、クラス会を開くというので行ってきました。
高輪台は非常に古い鉄筋校舎だとかで、それを残しつつ、地下に体育館を作ったり、なかなか工夫された建築になってました。見学してると、以前はなかった広い遊びスペース(生徒が僕らのときより少ないんだね)、国際科と書かれた外国人教師のクラスの写真とか、目新しい部分と、昔と同じ位置の同じ大きさのプール(こんなに小さかったのかなー)とか・・・・様々に面白かった。しかし小学生の机って、こんなに小さかったのか。

そのあと、品川のつばめグリルで会食。仲の良かったコヤ君とお互いのお姉さんが素敵だった、いやウチはそうじゃない、と話したり(人のお姉さんは素敵に見えるらしい)、今でもマジメそうなアネザキ君に「ナッちゃんは、小学校入った頃は房之助で、途中で介の字に変わったって僕に教えてくれたんで、ウチの家族にそう教えてるんだ」といわれたり(僕は全然覚えてないけど、たしかに最初は助だった記憶はある)、ものすごくデカくてSケン無敵だったオカモト君は、今見るとそれほど大きくないけど、所作の癖が昔のままだったり、昔からひょうきんで冗談好きのモガミ君は相変わらずそうだったり、話しているうちにいつもは全然思い出さないクラスの他の人の名前やエピソードが思い出されて、じつに楽しかった。
僕の隣の席になったことのある人は「授業中、全然勉強しないでパラパラマンガを描いていた」といっていた。たしかに、ホントに勉強しなかったもんなぁ。
高輪台小の裏に急坂があり、これを僕は「ユーレイ坂」と呼んでたけど、他に「人殺し坂」とも呼ばれていて、じっさい僕らの時代にそこで斬りつけられた事件(死ななかったらしいが)があったという話は、はじめて聞いた。僕はいつも、そこを通って通っていた。

じつは、このクラス会は卒業から30年たった92年に一度やっていて、そのときの話はエッセイにも書いている(『あの頃マンガは思春期だった』とか)。2年続けてやって、2年目には憧れの君タケウチさんとカラオケもした。まあ、でもそんなに毎年やるほどの興味も僕にはなくて、意外と僕らの年代はそうなのかもしれない。
息子の小学校の先生によると、まとまりがよくて、しょっちゅう集まる年と、ばらばらの年があるのだそうだけど、僕らは後者なんだろう。寅年だからかなー、といったら、誰かが血液型じゃない? といってた。話もまとまらないね(笑

Comment(2)