オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

じゃん・ぽ~る西『パリの迷い方』集英社

»

漫棚通信さんも書いておられたが、↓
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_97b1.html

『パリの迷い方』、面白いです。
何となく読み出したら、ずるずる全部読んじゃった。
観点が、じつに水平目線っていうか、憧れで上向いてもいないし、もちろん下に見てもいなくて、フツーにフランス語できない青年が、フツーに(?)フランスでマンガを勉強したいと考えて(やっぱ全然フツーじゃないけどね、俺の知るかぎりじゃ奥田鉄人くらいのもんだ)、ごくフツーに生活の中で異文化に出会い、とまどい、怒り、落ち込み、だんだんフツーにそれらの中で異文化を楽しむようになってゆく。

読んでいくと、最初はハラハラするくらい何も知らないのだが、ほとんど身体的に「パリの迷い方」を身につけてゆく感じがする。当初、それでも驚きと興味が支えているものが、徐々に黒い「怒り」になる。

〈何なの この国 先進国じゃないの?〉
〈フランスは 先進国B’くらいにしてほしい・・・・〉(42p)

などと思っている顔は、基本、気の抜けた蛭子さんの絵みたいな簡単な主人公の顔が突如花輪和一化したりする。それが、同じ怒りでもだんだんこなれてゆくのだ。そして、異文化の「面白さ」を淡々と語るようになる。

昔、週刊朝日「學問」の仕事で、海外(おもに欧米)からきた女性たちが、日本でいかなる異文化衝突と受容の過程を辿るかを描いたことがある。その過程は面白いほど、人が死を目前にして辿るとされる末期ガン患者などの心的過程に似ていた。「怒り→取引→抑うつ→受容」とされた、その過程を、吉本隆明は「人間は、大なり小なり、危機的な場面で同じ過程を辿ると考えられる」というようないいかたで紹介していたが、まさしくその通りだなと思ったものだった。

おそらく、じゃん・ぽ~る西氏も同じ過程を辿ったのだろう。
ところで、山松ゆうきちの『インドに馬鹿がやってきた』と比較なんかしてみるのも面白いかもしれないな。

Comment(1)