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夏目房之介の「で?」

彦根講演「平凡寺と「我楽多宗」」(6)

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101112 写真10 平凡寺邸庭 大正9年 左より藤波紫影、白井京也()、三田村寒菊、宮崎線外、高崎寶来、小澤一蛙

写真11 「悟楽寺のづぼら」鈴木佐阿弥 大正11年 写真12 獅子梵刹ことインドの貴族G.C.シング

「悟楽寺のづぼら」と書いてある写真、相当変な格好をしてます。次にインド人のシングさんという人だと思いますが。ターバンを巻いていた、ということはシーク教徒ですね。ターバンは非常に神聖なもので、人前で解いたりしないというんですが、平凡寺は解いたターバンで巻き方を教わったそうです。実際、平凡寺がターバンを巻いてる写真を見たことがあります。なんか、それほど信頼された仲だったということらしいです。

当時のマスコミとしても、何か集会でおかしなことをしてるんじゃないか、そういうことを面白おかしく取材をしようとしただろうと思いますが、僕の知る限りそういう話はないんです。伯母に聞いた話では、そういう集会をやってて、みんなで酒が入ってドンチャンドンチャンやって大騒ぎしてるのを、平凡寺は傍らで座ってニコニコしながら見ていたようです。そう話してました。僕もそんな感じがします。決して自分から踊ったりはしない。その辺も、また不思議な、ある種独特のオーガナイザーというか、求心力を持ってたのかなという気がします。一緒になって歌い踊ったりしていると、また違った形態になるのではないでしょうかね。それなりの長い年月の間、ある求心力を持ったまんま集団が発達するわけですから、あんまり求心力の中心自体が積極的に動かないほうがいいのかもしれません。その辺は正直言って推測でしかないですが。僕のイメージでは、だいたい耳が聞こえないわけですから、あんまり積極的に動いたり、一緒になって大騒ぎをしたりしない。酒も飲まないし、そういう人では無かったろうなという気がします。

先ほど引用した『趣味と実益』の記事の続きを読みます。その当時の趣味品、収集品が置いてあるお堂の様子を語っています。

〈所謂本堂が変つて居るぜ、丸木の危なつかしい梯子を登つて二階の天井裏、それとも家根裏の三階と云はうか高さ四尺ばかり、立つ事も歩く事も出来ない低い天井の八畳ばかりの室、そして其処に所狭きまで列べられた物は、何れも奇々怪々の薄気味悪いものばかり、歯を剥出した髑髏、醜悪な南洋の女神男神、さては血痕班々たる蛮人の首台など、満目皆これ人間界のものでないやうな気がするよ〉

とあります。なかなか刺激的な文章になっていますね。

実際に、ニューギニアだったと思いますが、首狩族の切った首を置く台と称するものを写真に写しているものがあります。この写真も絵葉書で残っています。そういうものを集めていた。今日はお見せしませんけど、あまりお見せできないようなグロテスクな写真もあります。法医学的な部類に属する写真もありました。それも葉書になって残っています。これは大正・昭和の猟奇趣味に通ずるものがあるのかもしれませんね。

平凡寺の場合、髑髏に対する執着は若干禅宗の影響があるのかもしれません。人間すべて一皮むけばみな髑髏であるというような所に一脈通じてはいるんでしょうが、大正・昭和期のモダニズムと、その裏っ側に付いている猟奇趣味、そういったものも反映しているような気がします。その辺は推測の域を出ないというか、詳しいことが分らないのでそのくらいのことしか言えないんですけれど。

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