63年創刊「ボーイズライフ」の意味
前回の「67年頃のマンガ論」については、はからずもコメント欄が異様に充実し、とくに「ボーイズライフ」の存在がクローズアップされました。ウィキペディアに記事があるのも知らなかったですが、ちゃんと読んでみると63年4月号創刊なんですねー。「月刊漫画ガロ」や「平凡パンチ」創刊の前年。『鉄腕アトム』TVアニメ開始の年であります。「中学生の友」を吸収する形で創刊され、中学生対象とある。
小学館の学年誌の流れを汲んでいながら、当時の中学生以上、つまり、のち若者文化の担い手となる世代を対象としようとした若者向け総合娯楽誌、という位置づけだったようです。学年誌が「教育」という概念で貫かれているとすれば、ここで「娯楽」が前面に出てくる。の一部としてマンガも入ってくる、ということだと思います。「教育」からの離陸は、マンガ論そのものも当時同じ過程に入るわけで、日本の戦後マンガへのとらえ方の変化は小学館及びマンガ編集サイドにもあった、ということでしょうか。そして、そのベースに戦後ベビーブーマーの巨大市場と、彼らの成長があった・・・・ということになるのかもしれません。
63年当時、貸本は急速に衰退局面に入っており、その結論の一つが「ガロ」の創刊なわけです。「ガロ」はやがて貸本作家の大化けの場となり、メジャーへの架橋役も結果的に果たし、その求心力で多くのマンガ変革の中心的な新人たちを育て、日本のアンダーグラウンド系、オルタナ系の源流になってゆく。と同時に、当初から積極的に読者の感想文・批評文を掘り起こし、「漫画主義」同人など、マンガ批評の場の母体ともなってゆく。戦後ベビーブーマーの中から生まれた「マンガ青年」たちは、「ガロ」によって自分の想像を越えるマンガを与えられる快感を知り、さらにそれを語る「言葉」を獲得していったといってもいい。
この動きがやがて67年以降に創刊される青年劇画誌や「COM」によって加速増幅する、というのは見やすいわけですが、ここにじつは直前から存在した「ボーイズライフ」を置いてみると、また違う過程が見えてくる。
「ボーイズ」(寄席の、ではない)は、ウィキに紹介された経緯を見ても、「中学生の友」という中学生向け教育誌を脱皮して若者向け娯楽総合誌を狙ったが、結局中途半端のまま、69年に「週刊ポスト」に編入される。また、一方でさらに対象年齢を上げた青年・大人マンガへと特化した「ビッグコミック」につながってゆく。つまり、「平凡パンチ」をもう少し穏やかにしたような、十代の若者メディアを構想して創刊されたものが、結果的には、「ガロ」~青年劇画誌への流れと、「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」の若者誌の流れに乗り越えられてしまったとも見える。
そういう目であらためて見ると、けれど「ボーイズ」が当初からマンガに注目し、しかも劇画系を多く取り込んでいこうとしているのは先見の明だし、過渡的な役割を充分果たしたということになるんじゃないでしょうか。さいとう・たかをさんなどは、とにかく多くのページが欲しかった、そうじゃないと自分の考える劇画は表現できないという主旨の発言をしているので、その意味では壊滅する貸本にかわるメディアの可能性を最初に示したのは「ボーイズ」だったかもしれないですね。たしかさいとうさんの作品のページ数かなり多かった気がする。「週刊少年マガジン」の『無用ノ介』は、そのあとだった。
ウィキによって「ボーイズ」のマンガ・劇画ラインナップを見ると、白土三平、横山光輝、石森章太郎、さいとうたかを、佐藤まさあき、宮谷一彦、小島剛夕、水木しげる、赤塚不二夫、つのだじろう、藤子不二雄など、まさにのちの「ビッグコミック」だし、ケン・月影、篠原とおる、木村仁なども入っている。
当時の二大大手マンガ出版である講談社、小学館のうち、小学館は63年頃は「週刊少年サンデー」で優位に立っており、講談社は月刊誌時代を終えつつあった少年マンガで後塵を拝していたといっていい。小学館は、そこでさらに若者向けメディアへの志向を強めていたわけで、そういう強い方向性を持った編集者がいたのだと思われます。「ガロ」との合体の話も、その方向性がとくに劇画に向いていた(もっとはっきりいえば、白土三平が欲しかった?)ということだったのか・・・・。まぁ、結果的には長井さんが話を断り、「ガロ」の前衛的な役割は十全に果たされることになったのかもしれないですが。
講談社は、歴史の奇妙な皮肉によって、少年誌内で青年化を進める結果となり、青年誌の創刊はずっと遅れる。結局、大手による本格的な青年誌参入は68年の「ビッグコミック」になる。それまでの過程に「ボーイズ」の意味を加えて考えるのと、そうじゃないのとは、かなり違うものになるかもしれません。
それにしても、「ボーイズライフ」が中学生向けでスタートしたんだとすると、63年創刊は、まさに僕が中学になるタイミングだったわけで、すがやさんと僕はドンピシャだったことになります。う~ん、もう少し調べて書いてみたいなー。
・・・・って、そんな課題ばっかですけどもね。