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夏目房之介の「で?」

16日は林静一展のトークショー

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・・・・でした。ひさしぶりに林静一さん、山下裕二さん(明学の美術史教授)にお会いし、司会の湯浅学さんとは初対面でしたが、林さんの人柄もあり、和気藹々で進行。面白い話が聞けました。
とくに、東映動画アニメーターだった林さんが、ガロでマンガを始めたきっかけの話は、当時のマンガとアニメの相互影響関係を考える上でとても示唆的で貴重な話でした。当時の東映動画内は、表現に敏感な人の集まりで、映画でも音楽でも色んなところにアンテナを張っており、ガロもほとんどの人が読んでいて、それで林さんがTVアニメのために集められたフリーの若いアニメーターたちと何かしようとマンガ同人誌を発案し、結局そこに描いたのは宮崎駿さんだけだったとか。でも、当時唯一マンガを公募していたガロにみんなで投稿しようということになって、林さんが載ったのだという。
この話の背景には、東映動画労組自主制作みたいな『ホルス』が『カムイ伝』に似てるとか、東映動画内の労組と虫プロに始まるTVアニメ化っていうアニメ・マンガ相互影響史の中で読むと面白い。林さんは「これで東映は長編アニメは作れなくなるな」と思ったという。この話は林静一展図録「林静一 叙情の世界 1967-2007」所収のロングインタビューにも書かれているので、興味のある人はぜひ。
また、林さんは自分のマンガ作品、『グッピー』や『夢枕』に至る「日本の近代とは」っていう主題について語りながら「白土三平さんと当時話したかぎり『カムイ』伝は本当は近代にまで続く話だった。けれど、結局途中までの話になってしまった。弟子として、というんじゃないけど、どこかでその意図を継ぎたい気持ちがある」といわれたのは、印象的だった。

ガロという媒体が、(林さんいわく)アニメ現場の若者たちに「マンガは子どものものだけじゃないんだ」という衝撃を与え、若者の自己表現としてアニメやマンガを押し上げていった時代を感じる。

僕らには大きな影響を残した『赤色エレジー』(おそらく、初めて同棲を描いたマンガ)も、当時はてっきり林静一という人の経験そのものだと思って感情移入していたが、じつは林さんが担当した数十人のフリーの若いアニメーターたちを見ていて考えた作品だそうだ。林さん自身は東映動画退社後虫プロで『W3』をやり、さらにTV制作会社をやっていて、ああした同棲貧乏とは無縁だったらしい。
会場では「画ニメ」と称するリミテッド・アニメ化した『赤色エレジー』を流し、DVDも売っているが、当然これも買い込み帰ってから観た。驚くことに、僕自身大学生で同棲していた時代を、生々しく思い出してしまい、涙ぐんでしまった。あれから30年以上たっているのに、まるで距離を置いて観られない。やっぱり、すごい切実な作品なのだ。ただ、当時の読者の心に深く食い込んだヒロイン幸子の顔とスタイルが変わっている。読み返したくなった。

ガロの忘年会は、70年のとき、異常なほど若い人たちが集まってしまって、店の玄関まで一杯だった。それほど、70年のガロのオーラは凄かったという話も記憶に残る。また、僕が「林さんの線は80年にはっきりと性質が変わり、それまでの、何かにカリカリと傷つけるような、手の感覚の強い線から、キレイで透明感のある線に変わるのは、時代感覚なんだろうか」という話題を出したとき、林さんは「そういえば、つげさんが80年になった頃、それまで忘年会などで会っても元気そうだったのが、急に体調不良を訴えていた」という話も面白かった。
あと、ガロのつげ義春を初めとする作家たちが知識人・文化人に評価された経緯については、長井さんの功績というより高野慎三さんが「読書人」のノウハウで知識人に送りつけたことで始まったという話も面白い。
色々と勉強になるトークショーだったが、おこし原稿をダイジェストで美術館のサイトに載せる企画もあるらしいので、乞うご期待。

花園の集中講義は、この前のNHK「プロフェッショナル」の長崎尚志さんの回を見せて、その後の知見を含め「マンガ編集論」2をやろうかと思っていたが、ちょっとこの『赤色エレジー』を今の学生たちに見せて、60~70年代のマンガ・アニメについてやってみようかな、という気になっている。どうしようかなー。

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