オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

江戸東京博講演「漱石の言葉」

»

6日(土)の午後、江戸東京博で講演やってきました。
1時間、という話だったので、そのつもりでレジュメ作ったのだが、結局、1時間半やってくれということで、けっこう「遊び」を入れつつ(古今亭志ん生や志ん朝の話織り交ぜたりね)あちこちより道の、僕らしい講演になった。本題そのものは、漱石の書き文字の中の手紙、小説、講演原稿、書などと、書き文字としての話し言葉とじっさいの講演の言葉について語りつつ、そこに近代媒体としての印刷と原稿及び原稿用紙が作った書字、そして言葉の近代化という、けっこうマジメで堅い話なので、それをクダケたバカ話をしながらやった。けっこう受けはよかった気がする。マンガと違ってお客さんの年代が高いので、志ん生のところで拍手がきたりして驚いた。

というわけで、レジュメです。結局、この原稿の数倍しゃべった気がするが。前半部は、基本的にもうすぐ出る集英社新書『直筆で読む「坊っちゃん」』の解説を基礎にしている。

江戸東京博物館 106日(土) 講演 「漱石の言葉」 夏目房之介

 1時間

1)      集英社新書の解説依頼

 『直筆で読む「坊っちゃん」』集英社新書 見本・チラシ

面白い企画 → 解説 漱石の直筆について 文字の表情とノリやセリフの感情について何か言えるのではないか? →甘い予想

 前提・マンガ表現論の描線論 石川九楊編『書の宇宙』連載(書の分析

図1 直筆原稿コピー冒頭〈親譲りの・・・・〉 整った字 面白みない

 どうしたものか? 他の人の原稿と比較 → 近代直筆集との比較

図2 黙阿弥 当たり前だが、原稿用紙じゃない(升目ない 連綿

 垂直線の確かさ 連綿体 文字の大きさの違い

図3 樋口一葉『たけくらべ』 書としてのうまさ 連綿を原稿用紙に当てはめている →近代になって原稿用紙の升目に入れる文字になった

 印刷技術の変化(木版 → 近代印刷

メディアの技術革新、木版媒体から印刷媒体=新聞などへの歴史が「直筆原稿」の背景にある

図4 中上健次『異族』渡部直己「中上健次の肉筆原稿 書字とともに生成する未聞の平面」 二玄社 季刊『書画船』1 97年 30

 図5 石原慎太郎『暗闇の声』保昌正夫監修 青木正美収集・解説『近代作家自筆原稿集』東京堂出版 2001年刊 203

 癖のある直筆

 それなりに作家性を感じさせる書体 漱石は制御が効きすぎている

図6 漱石の書「夜静庭寒」 大正4年頃

 石川九楊懸命さを造形しないで、我慢、禁欲するところに空洞が生まれ、韻きが増幅されるのだろう。〉「図版特集1 漱石の書傑作選」 石川九楊「作品解説」 芸術新聞社『墨』847月号 「特集 文人夏目漱石」所収 33

2)      漱石の言葉 講演速記録

文字= 資質的にも、書としても、制御が効いていて、律儀

手紙などの書き文字(親しさと崩し) 原稿の文字(機能的な抑制) 書の文字(抑制的な作品化) それぞれ違う 原稿に「面白さ」がないのは当然

話し言葉はどうか? 漱石講演速記録の言葉

全集などに収録されている「講演」は、漱石の手が入っている

一体に漱石という人は几帳面とか律儀という言葉がよく当てはまる人であったらしく、講演もやりっぱなしで速記をそのまま活字にして発表するということを好まなかった。自ら著作物として発表する以上は、たとえ話し言葉であってもきちんと原稿を作らないと気が済まなかったらしい。〉「文芸春秋」075月号 「初公開 よみがえる文豪の肉声 夏目漱石 演説速記「作家の態度」」 秋山豊「はじめに」より 260

当たり前のような気がする 現在ではふつうに手を入れる 当時は速記録のままの作家も多かったのか? 几帳面・律儀は間違いないが

問題は、直してもかつ「話し言葉」として書いていたこと

書き直した講演「創作家の態度」原稿は19w×10L×307枚=58330

速記録 400w×51枚=20400w 約3倍近くに増加

しかも構成から変えているのに、話し言葉を「創作」

書き直した原稿にない部分

〈題は何でもようがすけれどもネ、「作家の態度」と云うのです。作家と云うのはつまり「創作家の態度」と云う題です。だから堅い話なんです。それをなるべく面白くやるつもりですけれども、面白くはありませぬ。〉同上 263

他にも〈ようがすか〉一箇所あり

〈足が棒になって身体が豆腐になっちまって、耳の中でダイナマイトが破裂して、眼の中に火事が出来て、頭の中が大地震だ。〉同上 271

おそらく落語的な語法が身についていて、堅く抽象的な主題を語り口で柔らかくしようとしたのではないか 江戸っ子的な話し言葉の生理とリズム

僕の中の漱石像とも一致する 照れや洒落っ気

実際の話し(講演)言葉→落語的なリズムは話し方を削って「読む活字としての話し言葉=講演原稿」へ 二つの「話し言葉」があった

『猫』などは、「ホトトギス」担当者が面前で少し声に出して読み、同人の中で読んで聞かせている(江戸時代の素読・共同体的な読み方の伝統・前田愛

→新聞連載時には、なかったはず? 音声と文字の乖離

本当はかなり面白い話し方をした人だったように思える(東京人の話ぶり→父

歴史的な比較の中で、漱石の文字と音声との関係を問うと面白い

Comment(0)