『差別と向き合うマンガたち』
吉村和真、田中聡、表智之『差別と向き合うマンガたち』臨川書店。
いい本だ。マンガの研究者、ライター、編集者、マンガに興味ある人、必読の一冊といっていい。「差別」の二文字でおそらく読者を選んでしまい、あるイメージで書店に並び、買われることになるはずだが、そのイメージは裏切られるだろう。「差別」問題へのもっと詳しい記述を期待する向きには喰い足りないと感じられるのかもしれないし、著者たちもたぶんそれを予想している。逆に、僕のように、差別問題にリアリティがあまりなく、知識もなければ、ちゃんと考えたこともない人間でも、マンガが好きなら面白い。興味をひかれて読んでゆくと、「差別」というよりも、「社会」に向かって開かれてゆくマンガの「読み」の問題を様々に考えさせられ、その一つとのサンプルとして「差別」問題がある、という感じだ。
とはいえ「差別ってタイトルにあげなければ、もっと一般読者を獲得できたかもしれないのにな」とは、いいたくない本でもある(→追記注)。なぜかというと、タイトルに「差別」とあるだけで、ある種のイメージでもって「選んで」しまうこと自体に、差別のもつ問題があるだろうからだ。
タイトルも含めて、そういう文脈的な問題をわかりやすく、きちんと示してくれる本である。
本書は三部にわかれ、著者が連載時から分担して書いた三つの部分で構成されている。僕にとって面白かったのは、一部の吉村のマンガ表現の特性からリアリティのありかを考える部分、二部の田中の歴史とマンガ表現の関係を考える部分で、この二つは「差別」について考えるさいの基礎的な思考ではあるが、それをことさら意識しなくても読める。
「差別」と表現を正面から問うのは、三部の表の(ことに後半部の)議論だろうが、それでも〈ストレートな差別論を期待する読者にはもどかしさを感じるやり方〉かもしれないと、所収されている書評的な文章でイトウ ユウが書いている。そうなのだろう。
連載の掲載誌は部落問題研究所「人権と部落問題」誌ということなので、テーマもタイトルも必然的に「差別」を含まざるをえないのだが、内容はあきらかにもっと広い「読者」や「社会」に拡がっており、マンガ研究が今いる場所を示している。できるだけ広く多くの読者をもってほしいと思うし、著者たちもそれを望んでいるだろう。
ちなみに、各章で扱っている作品作家は、
第一章 マンガと表現 吉村
『銀河鉄道999』(メーテルと鉄郎のキャラクター的対照)、山松ゆうきち、ワーグマンとビゴー(反っ歯に眼鏡の日本人)、『サイボーグ009』(人種)、『博多っ子純情』(方言)など。
第二章 マンガと歴史叙述 田中
学習マンガの変化、みなもと太郎『風雲児たち』、『陰陽師』と花輪和一(平安時代)、『お~い!竜馬』と黒鉄ヒロシ『幕末暗殺』(身分の描写)、『夕凪の街 桜の国』と永島慎二(被爆者)、杉浦日向子と楠勝平、『カムイ伝』など。
第三章 マンガと現代思想 表
『風の谷のナウシカ』、『フルーツバスケット』、『バトル・ロワイヤル』、『湘南爆走族』と『BE-BOP-HIGH-SCHOOL』、『毎日かあさん』、『おとこ道』、『エマ』、『血だるま剣法』など。
くりかえす。おすすめである。だまされたと思って読んでみなさい。
追記 注 それにしても、いいタイトルとはいえないな。もう少し「入門」とか「思考の基礎作り」的なニュアンスが入るとか、内容をちゃんとあらわして、かつキャッチーなタイトルが望ましかったのは事実。