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夏目房之介の「で?」

6月2日「世界に広がる日本のポップカルチャー」メモ

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先日のマリオンでの講演・シンポで興味をもったポイントをいくつかメモ。

マット・ソーン氏の発言より。

◎小さい頃、ローカルTVで『ウルトラマン』『ジャイアント・ロボ』などを見たが、別に違和感はなかった。年齢が小さいと人種のイメージとかはなく、その後文化的に教えられてゆく。

◎『セーラームーン』など日本マンガは米国の女の子とマンガ・アニメをむすびつけた。文化の違いよりも、同じ十代の女の子としての共通点のほうが大きかったのだ。

 これは

全般にマンガ・アニメの海外浸透についていえる現象で、じつは日本マンガ=固有文化論を同じ現象で語ろうとする言説が矛盾している証左にもなる。僕も、じっさいに海外を見てきて、自分の中の「日本文化特殊論」に気づいてきたのは、あちこちに書いた。

◎なぜ日本マンガなのか?(海外への浸透したのか?) まとめフリップ

歴史の偶然
発表の場(赤本とか貸本など ※多様性のことか?
テレビへの対応の違い
大量生産と記号的な省略化(わかりやすさ

歴史の偶然は、あまりに大きい問題だが、いいたいことはわかる。歴史的な条件によって、たまたま日本の戦後において発達したのであって、けして伝統文化から必然的に生成したものではない。日本マンガの成立する条件には、たしかに重要な歴史的「偶然」が作用している。少女マンガというジャンルの成立ひとつでも、戦前からの少女雑誌(少年雑誌との棲み分けの歴史)の伝統と、戦後60年代の女性人気作家の群生条件とマンガ誌発展のタイミングなど。あるいは、ソーン氏も意識しているだろう、テレビとの共闘体勢の成立(同じ時期に発達)などだ。
ソーン氏は「米コミックはラジオもない時代に新聞マンガとして始まり、じっくり読むために目を留める構成を作り上げた」と語ったが、それに対して日本マンガは「(戦後の)大量生産による絵や構成の記号化で、目を止めない読みを獲得した」というようなことを語っていた。
また、フレデリック・ショット氏もいっていたが、米国ではテレビがむしろコミックをバッシングする側に回り、日本ではマーチャンダイジングやアニメで共闘体勢をとれた、という側面があったと米国の人は考えるようだ。これに関しては、まだ検証材料が多いが、マンガだけではなく、ほかのメディアとの関連を見てゆくのは重要だろう。

シンポジウム

仏 マティアス・ハイエク氏の発言より

◎子供の頃、(おそらくTVアニメの)『シティ・ハンター』にラブホテルが出てきたが、フランスではなぜか菜食レストランになっていた。なんでサエバ・リョウがいつも菜食レストランに入りたがり、女性がそれを嫌がり、かつモッコリになっているのか理解できなかった。

有名な仏のコードによるらしい変更では『めぞん一刻』の酒盛り場面が、いつもレモネードを飲んでいることになっていた、というのがある。それと似た例だろう。メディアに流す規制のありかた、対象年齢と規制条件などの考え方の違いで、おそらくかなり幼い子供を想定したものだったのではないだろうか。

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