オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

永島慎二『ある道化師の一日』

»

Photo_312 マガジンハウス『黄色い涙』(06年)に『マンガは今どうなっておるのか』(ITメディア 05年)所収の永島慎二氏追悼文を転載したところ、担当編集者より「永島夫人がお礼に永島さんの原画を差し上げたいとのことで、預かっております」との連絡が。
 じつは

かつて『消えた魔球』で『柔道一直線』に関して「やる気のない描線」というような表現をしたのを永島さんが怒られていたと伝え聞いたことがあり、最初はお断りした。
そう書いたのは、それなりに理由があった。80年代の当時「読んで面白いマンガ批評」を作りたくて、茶化し文体的な流れで書いたことだが、かといって今ならもっと別の書き方ができたかもしれないとの思いもある。批評家としては、これで怒られても、まぁしょうがないということもあった。ただ、永島マンガに一度はハマった思春期をもつ者として、永島さんにそのことを直接お話しする機会も持たずに過ごしてしまったので、お礼をいただくには忸怩たる気持ちがあった。
夫人はそんなことは気にせず渡してくださいとおっしゃったとのことで、結局、絵をいただいた。子供たちを描いたきれいな水彩だった。
同時にいただいたのが、この自費出版本『ある道化師の一日』であった。見てびっくりした。まるっきりプロの編集による、ちゃんとした遺稿集であり、しかも年表とか写真とか貴重な材料満載の素晴らしい本なのだ。箱入り、ハードカバー、背布張り、200ページ余。カラーページ30ページ余。届けてくれた編集者と、同時に叫んだ。
「もったいない!」
この本、そのままちゃんと市販できる本になる。永島ファンだけでなく、研究者にとっても資料になる貴重なものだ。

4510 たとえば、こんな原稿。
99年のコミックボックス掲載「ある日の手塚治虫」
「ぼくが先生を手伝っていた頃」
トキワ荘から移った並木ハウスの、手塚の回想マンガによれば高額所得者のくせにアパート住まいといわれ、ピアノを無理やり入れた部屋である。さすがに描写が生き生きしている。

262710 一色のページには、短い文章やカットなどが収められている。
マンガ家デビューについての文章には、当時の原稿料(1ページ百円、64ページ単行本一冊で6千円」などとある。
左ページには、つげ義春らとつきあいのあった17歳の頃のことなどが書かれている。互いに「自分を深いところで天才であると信じてうたがわないクセ」をもっていたそうだ。

10 巻末の年表にも、貴重な写真が配される凝りよう。
他にもカラーの写真集やおそらく自作の落款集などが「付録」になっていたりする。

見てわかると思うが、永島慎二を好きな人なら、もうヨダレが出るような本だし、マンガ愛好家や研究者でも欲しい本だと思う。たとえば、注文制作とかで少し高くても十分成り立つと思うのだけど、どうだろう。
もしも、手をあげたい出版社がいたらご一報ください。

いや、別に僕がエージェントをやろうというんじゃなくて、夫人にお礼のお手紙を出したとき、この本についてブログで紹介してよろしいだろうかと伺い、ついでにもし刊行したい会社があったらどうでしょうか、とお尋ねしておいたのだ。そうしたら、その場合は夫人と娘さんが対応することになるでしょうとのことだった(今まで対処していたご長男がご多忙の由)。ブログ紹介の件も快く了承していただいたので、こうして書いている。
マガジンハウスの担当さんとも、これが何らかの形で刊行されるといいですね、という話になって、まぁダメもとでよびかけてみる次第です。

Comment(6)