森下文化センターのマンガ編集者シリーズ。本日は、あの!西村繁男さんです! そう『さらば わが青春の「少年ジャンプ」』の西村さんですよ。面白くないわけがない。
 僕はもっと運動会系の大柄な眼光鋭い方を想像していたんですが、小柄な穏やかな方だったのでびっくり。けれど、芯ががちっと決まっていて、大事なところを無理に動かそうとするとテコでも動かず、ものすごく抵抗するタイプという感じですね。また執拗に説得を重ねる粘りのある方にも見えました。
 レクチャーは集英社就職、マンガ月刊誌、「少年ジャンプ」創刊の流れを順に追ってゆき、ご自身が編集長になるあたりで時間切れ。質疑に入りましたが、さすがジャンプ話だけあって、質問がいつまでも終わらない。ついに全部で二時間を越え、ようやく終了。もちろん、そのあと丸山昭さんはじめ研究者などと一緒に恒例の飲み会にお誘いし、さらにお話を伺いました。
 一応レクチャーの間メモしたものをもとに、若干の備忘録を。

●文系学生就職氷河期の’62年、講談社を面接までいって落ち(何か言ってはいけないことを言ったらしい)、たまたま募集していた集英社入社。
●集英社入社の頃、何を出版しているのか知らなかった。芸能誌(週刊明星、明星)、少女雑誌、少年雑誌の選択肢では、少年誌しかないと志望したが、非常に珍しく、即座に「日の丸」(月刊誌)に配属。
●「日の丸」は、一応幼年向けだったが、実際は各社が競争で雑誌を出したとき、発売日を変え、少年誌に対して幼年誌という位置づけで発行したもので内容的にはさほど差別化されていなかった。が、入社当時はすでに週刊誌へシフトしつつあり、すでにその年の秋に廃刊、「少年ブック」への合体が決まっていた。
●作品は横山光輝『少年ロケット部隊』などを担当。横山先生は、当時週刊誌(『伊賀の影丸』)、少女月刊誌の連載で忙しく、あいまに描いていた。ある日「西村君、この薬は効くんだよ。目がさめるぜ!」と、自分も飲んでみせたので、一緒に飲んだ。そしたら睡眠薬で、すっかり寝込んでしまった。
「そのとき、横山先生という人は油断できない人だなぁと思いました」(大笑)
●集英社としては創業社長が始めた少年誌をやめるわけにはいかず、長野規(ただす)を投入。長野はアニメされたマンガを雑誌形式で復刊し、低予算で作って売上を本誌に還流させてもらったりしたが、結局は週刊誌化しかなかった。
●書店から「(売れてるから)週刊誌にしたら?」といわれながら小学館の抑圧があって月二回刊だったジャンプ念願の週刊誌化は、マガジンが低年齢層から離れ始め「ぼくら」の低年齢向け週刊誌化を画策との噂があって突然決まった。
●問題山積で創刊時10万ちょっとスタートだったにもかかわらず、長野は「百万部雑誌を目指す」とぶちあげていた。
●長野にはアンケートをどう読むかを徹底的に叩き込まれた。年齢別、クロスなど。あれがなければ、たんに人気投票の全体がいいとか悪いとかしか読んでいなかっただろう。
●『ハレンチ学園』でバッシングを受けたとき、長野は「いかなる場にも出てゆく」ことにして永井豪、阿部進を同行。逆に報道、テレビを通じて宣伝効果をあげた。
●永井豪が急激に人気を獲得したのに対し、本宮は徐々に伸びた。偶然会って貸本作品を送ってもらって読み、その後の読みきりで「いける」と思っていた。
「何というか、荒っぽさがうまくなるという感じ」※いいえて妙!
全体としてはさほどではなくても、ブルーカラーには人気。
●本宮人気が出るとサンデー移籍の話が聞こえてきた。「西村をサンデーに移籍させればいいんじゃないか」という声もあり、問題になった。
●’73年、マガジンを抜き、’79年に300万部、84年に400万部を記録。70年代までは小学館、講談社に対し「なにくそ」的「追いつき、追い越せ」意識でやっていたが、80年代にはトップを走るものの悩みに。
●自分は残酷なのでのせたくなかったが、担当者が最後には涙目になって激論し、「本誌以外では載せない(それだけ自信があったんだろう)、載せないなら他誌にもっていく」と主張し、そこまで作家のことを考えているのならと許可したのが『バオウ』だった。
●『筋肉マン』は、みんな絵がうまくなっちゃうときに、単純でヘタで子供が似顔を描きやすい作品だった。読者年齢も上がりがちな時期だったので採用し、読者年齢を下げた。
●80年代、アニメ化に対し、あまりに早くすると作品の寿命を短くしてしまうので、年に二本ほどに抑え、いつもアニメ化作品があるような形に抑制する方針をとった。
●メディアミックスはマンガの作品の結果としてあるならいいが、それを目的化してしまうことには反対だった。が、現在はそういうメディアで育っている読者もいるし企画先行も必要だと思う。
●宮下あきらの高校実名回収事件の即断対処の話は感動的でした。会社にお伺いのヒマもなく抗議集会に参加、その場でクビ覚悟の独断で回収を表明。連載は中断。戻って、宮下には中断を謝罪し、問題の早期沈静をはかった。危機管理の見本。

 このほかにも、長野氏のとった組織改変策など、かなり詳しい話がありましたが、割愛。
 飲み会のOFF情報も当然、内緒(笑)。ただし、若干の補足情報を上のメモに織り交ぜてあります。
 最後に駅で「夏目さん、ほんとにマンガが好きなんですね」と西村さんにいわれました。ちょっと誇らしい気分。

natsume

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コメント
長谷邦夫 2006/11/27 03:54

宮原さんが、マガジンが7年間
赤字だったと書いたこと。
それが終えた時期の創刊。
敵が「ぼくら」を動かそうと
していたことが底流に~

なるほど、面白いや。

2006/11/27 11:30

あ、補足です。西村さんも「マンガ雑誌」とはいわず、基本的に「少年誌」とおっしゃってました。つまり62年入社の頃でも、意識は「少年誌」で、しかも西村さんの志望は記事モノだった。「マンガ(編集)をやりたい」といって入ってきた第一号は67~8年頃だったと、西村さんの『さらば』にはあったように記憶します。でも、西村さんのお仕事はあきらかに「マンガ編集者」のそれなので、やはり60年代に確立した現場という気がします。

ミートくん 2006/11/28 03:41

「キン肉マン」ここは拘っていただきたい。

トロ~ロ 2006/11/28 05:38

>睡眠薬で、すっかり寝込んでしまった。
>「そのとき、横山先生という人は油断できない人だなぁと思いました」

むう。こういう「おやぢ」になりたいもんだ(笑)

aaa 2006/11/28 12:19

バオウはバオー来訪者かな?
これはともかくキン肉マンなんて超メジャーな漫画のタイトルを間違えないで欲しい。

あけのたーかい 2006/11/28 17:26

●月刊誌時代には松本あきらも担当。当時松本は牧美也子と結婚したばかりで、元々筆が遅いのも関わらず、食事の度に執筆作業を中断されて苛立たしくなった。また松本はネームの写植の量に比べて吹き出しが小さく、指摘しても改善されなかったので、西村さんが勝手に(絵を上に)吹き出しを大きく描き直した。
●「サーキットの狼」は連載開始当初あまり人気が無く、10回で打ち切るつもりだったが、7回目でブレイク。長いジャンプの歴史の中でも10週以内で人気を盛り返したのはこの作品だけ。
●原則的にはアンケート至上主義だったが、例外として人気を度外視して連載を続けたこともある。例「はだしのゲン」「バオー来訪者」
●本宮ひろしとの出会いは、当時ちばてつやのアシスタントだった政岡としやと本宮が友達で、ちばの打ち上げ(飲み会)に来ていた本宮と偶然隣の席に座ったのが最初。
●ジャンプが他の週刊少年誌と比べて特異である理由の一つに、会社がオーナ企業であるかとうかがあると思う(個人の競争が生じやすい企業風土)。

2006/11/29 00:13

あけのたーかいさん、補足ありがとうございます。そう、最後の項はオーナー一族の世襲会社である講談社、小学館と比べて、集英社は誰でも社長を狙える競争原理の働く会社である、という文脈で語られた、かなり重要な観点でしたね。飲み会に向かう間に、その点を確認しました。ただし株の8割は今でも小学館が持ってるそうですけど。


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夏目 房之介

72年マンガ家デビュー。現在マンガ・コラムニストとしてマンガ、イラスト、エッセイ、講演、TV番組などで活躍中。

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