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オフショア時代のサバイバルガイド?

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長らくブログを更新していませんでした。実は、出張でフィリピンに行ってたんです。昨年までは、2ヶ月に1度は訪問しビジネスの開拓にいそしんでいました。この3年間くらいでマニラの様子は本当に変化しました。ロハス大通りには、マニラ湾に沿ってライブハウスやオープンカフェが建ち並び、「ベイ・ウォーク」といって家族連れやカップルが楽しんでいます。以前は、ストリート・チルドレンもたくさんいましたがいまは見かけなくなり、通りもびっくりするほどきれいになっています。一方、フィリピン最大のオフィス街であるマカティ市には、スターバックスなどのオープンカフェで海外からの出張族の奥さんたちが子供連れでコーヒーを飲みながら団らんする姿さえ当たり前のように見かけるようになりました。飲食店街には、韓国語の看板が目立つようになったのも最近ですね。

とはいえ、国民が裕福になったかというと相変わらずです。やはり、1,2%のお金持ちに富は集中している現実は何も変わっていません。カレッジを卒業した人なら英語でネイティブスピーカーと対等に話せるので、台湾の製造工場、ドバイでの家政婦、カナダでケアギバーをするなど、海外企業向けのリクルーティング事業は、ますます盛んになっているようです。

ITの分野でも非常に優秀なプログラマーも排出されるようになり、身につけた英語力でアメリカ市場からのオフショア開発にたずさわっていたり、コールセンターの誘致も非常に盛んになっています。そういえば、トレンドマイクロも大きなコールセンターを誘致していますね。そうかと思えば、現地で働く日本人のリクルーティング、いや引き抜き合戦も盛んです。景気の良い日系企業の工場の増設も相次いでいます。そして、セブ市もマニラに劣らず外資系企業の投資対象となっているようです。

9月にオーム社から出版された「My Job Went To India」をご存じでしょうか?日本語のタイトルでは「オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」となっています。表紙には、白人の男性が手でちぎられた段ボール紙に「Will Code For Food」と書き、裸足で座り込んでいるショッキングな写真が掲載されています。日本の戦後をテーマにしたドキュメンタリーでよく見る「大学は出たけれど」とナレーションが入り「職をください」(??)と書いたプラカードを首からぶら下げ本を読みつつとおりに立ちすくむ、あのインテリさんのシーンを思い出すのはぼくだけではないでしょう。ITバブルが終わりITは企業にとって欠かせない道具となりました。しかし、仕事はたくさんあるにもかかわらず、それにたずさわる人材を減らさなければならない状況。それに直面した哀れなCIOはどうすればよいのだろうかと問いかけています。米国では2000年から2004年にプログラマーの数は17%も減少している。さらに2005年の第1四半期だけで米国のテクノロジ企業は60000人をカットしている。それらが10分の1で雇用できるインド、中国、そして更にベトナム、ロシア、マレーシア、フィリピンなどに人材が求められるようになったのです。日本の技術者も例外ではなくなるでしょう。しかし、あなたは海外で仕事ができますか?英語ができますか?その他の外国語は?頭の痛い問題です。特に日本人技術者の泣き所かもしれません。特に中国のオフショアビジネスへの進出は加速度を増しています。これらの技術者には英語は必須、第2の外国語が求められるようになるでしょうね。

そいえば、Skypeでチャットしている日本人で、以前は英語を磨くためにネイティブの方とのチャットを望む人が多かったのですが、最近ではドラマのブームもあるのでしょうか韓国語、中国語ネイティブの方とも話したいとプロフィールに書き入れる人が急増しています。

  みんなサバイバルなのかなぁ?

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