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ライフワークとしての学びを考えます。

歌やしゃべるのが苦手な人も本当は声を出したがっている

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カラオケに行く事はほとんどありませんが、歌を歌った後というのは、本来身体が要求しているものに応えてあげたという感じがします。だからカラオケに行く方々の気持ちはよくわかります。

ただ、最近は、勉強のために自分の歌を録音して聴くので、自分で聞こえた音と、録音した音の違いに愕然とします。ボイストレーニングのためという名目で、無邪気に声楽を始めたばかりの頃よりは、少し苦しみもついてくるようになりました。

ただ、練習したあとの感覚は、ピアノとはまったく違います。

あの、自分が自分に癒されるような感覚は何だろうといつも思っていました。

2014年9月10日、日本経済新聞、作家の大竹昭子さんがプロムナードで「絶唱カラオケ」というエッセイを書いていて、なるほどと思いました。

    ・・・・(以下引用)・・・・

久しぶりに生まれたての赤ん坊に接した。泣くときの様子に圧倒される。顔面が収縮して梅干し状になり、ああ、来るなと思う間もなく、縮こまっていた力が泣き声になって一気にあふれでる。すばらしいエネルギーの爆発。

笑う表情も愛らしいが、どこか予定調和的なにおいがある。それに比べて、泣き叫ぶ行為には、説明のつかないものが体の奥から突き上げてくるような生命の勢いが感じられる

いまはヘタもうまいもなく、マイクを手にすればだれもが歌う。聴いている人がいようがいまいが、おかまいなしに絶唱する。
 つきあいでカラオケに行くことがあると、この事実にはたと驚かされるが、もしかしたらこれは、赤ん坊の時代をとうに過ぎてしまった大人の、声帯をふるわせたいという欲求の発露かもしれない。

    ・・・・(以上引用)・・・・

ボイストレーニング・セミナーのワークショップでは、皆さん仕事帰りでお疲れなのかもしれませんが、本当に思い切り声を出してくださいます。
最初は、声を出してくださらないのではないかと、とても心配しているのですが、素晴らしい声を発声されるのです。

「声を出すのが苦手だから来ました」などとおっしゃいますが、とてもそうとは思えません。

人間は、本来素晴らしい声を持って生まれてきました。
しかし、長年の経験で「こんな声を出したら恥ずかしい」とか「こういう声を出すとかっこいいのではないか」など、どんどん声に洋服を着せていってしまいます。
その厚着した洋服を一枚一枚はぎとっていくのがボイストレーニングなのです。
産院で響き渡るあの素直で爆発的な声を取り戻していただくだけで良いのです。


そして、ボイストレーニングのご縁をいただくと、すべての大人が、あの素晴らしい瞬間の記憶を取り戻そうとしているのかもしれないと、ふと思う時があります。

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