今を生きる 今日しかない だから、狂
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三國連太郎さんがお亡くなりになりました。
私にとっての三國さんといえば、最も音楽的に影響を受けた指揮者のY先生が、稽古のときに三國さんのことをよくお話しになっていたことが印象に残っています。
「三國連太郎は、30代で老人の役を演じるために歯を10本抜いてしまったんだ。」
また、演技では女優の有馬稲子さんを、リハーサルで10回以上失神させそうになるほど本気で殴り、本番でOKが出たときは20回以上殴られ、長い間耳の中に血の塊が残ったそうです。
有馬さんは「(三國さんは)夢中になると前後分からなくなっていました」と語っています。
なんという狂気。
凄まじい表現への追求。
三國さんが亡くなったあと、闘病中に書いた演技論のメモが病室の引き出しに残されていました。
「(演技は)再現できない。運命的な『物』である」
「コピーできない演技とは経過そのものであったと認知した」
「50年目にやっと認知した。気付くのが遅かった」
真の表現とは一期一会。
同じものは二度とできない。
そして、今日という日は二度と戻らない。狂おしいまでの慈しみに満ちている。
だから今ここにある。
という境涯が、三國さんの言葉から感じられます。
そして、先日行ってきた富士を思い出しました。
いつもとは違う逆側から見た富士も美しかった。
そして、その頂上はどちからから登っても同じである。
素晴らしい人生を生き、道は違えど、同じあの頂を目指したい。
そしていつか、素晴らしい方々と、あの頂で爽やかにお会いしたい。
人生の頂、どの道から登っても、つきつめれば到着する場所は同じなのです。
私も諦めずに登り続けたいと思いました。
三國さんのご冥福をお祈りします。
有り難うございました。
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