「あなたは憎めない人だ」 そう言われるようになってみたい
同じ素晴らしい先生に習っていても特に上達する人というのがいます。
同じ素晴らしい上司についていても特に成長する人というのがいます。
同じ時間を使っていてどこが違うのか?
なぜだろうかと良く考えます。
個人の実力もあると思うのですが、やはり違いを感じます。
素直で謙虚。真面目である。
良く使われる言葉です。
これらの要素は、自分になくてはならないものでした。
あともう一つ足りないものがあります。
それは「可愛げ」です。
または「憎めない」。
何を言っても、なんだか分からないけれども許せてしまう。受け入れてしまう。
そして、そういう人はなぜか分からないけれどもバランス感覚が素晴らしくて、懐に飛び込むのが上手く、また、「ここから一歩先はレッドゾーン」を直感的に分かっていて、絶対に踏み込んでこない。
可愛げも、度を越すと「図々しい」になってしまう場合があるのはそこです。
「可愛げ」と「図々しい」は、ギリギリのところでせめぎあうのです。
そこを歩くことは、人間学の名人芸ともいえる領域だと思います。
また、可愛げと「媚を売る」は違います。
媚を売るのはどこかに操作主義が発生し、見る人が見れば感じてしまうものです。
だから、
「あなたは憎めないね」。
この言葉は、人間として最高級の褒め言葉の一つにあげられるのではないかと、思えるようになりました。
もしかしたら、木下藤吉郎(豊臣秀吉)や坂本竜馬などは、究極のそういう人だったのではないでしょうか?
素晴らしい人は、そういう人にだけ、他の誰にも教えないようなことを、ついスルリと伝えてくださいます。
ふと手を差し伸べてくださいます。
だから、そういう人は「教わり上手」ともいえます。
同じ時間を使って、人の何倍ものことを吸収する。
人生を何倍にも生きることができる。
人間を学ぼうと思ったら、「可愛げ」を学ばなくてはならない。
そして世の中を変えるのは「憎めない人」だ。
そう思います。