弱音を吐くと人に迷惑をかけるのではないか?と思ったときにすること
「弱音を吐くと人に迷惑をかけるのではないか?」
「相手に対して負担をかけるのではないか?」
そう思い、自分の中にためこみ頑張っていると、さらに疲れが出て辛くなってしまうことがある、と言います。
2011年7月8日、日本経済新聞の「こころの健康学」に、以前「弱音を吐く余裕を」という記事があり思い出していました。
・・・・・(以下引用)・・・・・
私たちは、いろいろな考えに縛られて身動きが取れなくなってしまうことがある。しかし「弱音」を吐いても、その人の価値が下がるわけではない。ほかの人たちが負担に感じるかもわからない。がんばりすぎたから元気がなくなったのかどうかもわからない。どれも自分の解釈にすぎないのだ。
解釈することは反省すること自体悪いことではないが、そのために精神的に窮屈になりすぎていないかどうか、振り返ってみる余裕も大切だ。
・・・・・(以上引用)・・・・・
「振り返る余裕」とありますが、これがなかなか難しいものです。
余裕のないときの解釈というものはたいてい視野が狭くなってしまっていることが多いので、自分独自の解釈がすべてにあてはまるかどうかも分かりません。
私は、人がそういう状態になっているときにご相談を受けると、「有り難い」と思います。
ああ、こんな自分にも、心の痛みや、デリケートな部分をさらけだしてくださったのだと。
迷惑がかかったなどということを思ったことはありません。
ただ、高い領域に進んだ方であると、
「私は人に相談しない」
「自分の中にもう一人の自分がいるので、迷うことはあってもすべては自分自身で解決できるのです」
とおっしゃいます。
「もう一人の自分がいる。」
これはなかなか難しいことです。
もう一人の未熟な自分が、さらに不安になったり大騒ぎしてしまうと悩みはさらに深くなるからです。
ただし、これが出来るようになると、悩んでいても仕方のないことで悩まなくなると思います。
私は最初から100%は難しいので、例えば、未熟でも何人かの自分を持ってその人たちと会議をすることをしています。
そうすると「そうは言ってもこういう場合がある」とか「楽をしてもいいんじゃない?」とか言ってくれる人がいます。悩みの10%、さらに20%でも減らしていければ、悩みは軽くなるのではないかと考えています。