「ごめんなさい」がこだわりなく言えますか 謝ることは人生の危機管理になる
懸命にやっていても物事上手くいかないこともあります。
私は、演奏で思うとおりにいかなかったとき、まずは教えていただいた先生に「せっかくお教えいただいたのにすみませんでした」と謝ります。
精一杯やったし、何も悪いことはしていないから、謝る必要はないと思うかもしれません。
そういうとき、先生はたいてい「いやいや、気にすることはないのですよ」とおっしゃってくださいます。
でも、先生は昔からお世話になっている方ですし、貴重な時間を使って素晴らしいことをお伝えくださった、そして、応援くださった。そしてお忙しいのにわざわざ足を運んでくださった。そう思うとやはり謝っておきたいのです。
これは日本的な感覚かもしれませんね。
そんなことを考えていたら、池上彰さんの「伝える力」を読みました。
その中で、2006年サッカーワールドカップで日本人選手が、初戦で負けて淡々としていたことに対して、「いいとか悪いとかいった問題ではなく、謝ってほしい場面がある」「理屈ではない感情もある」と書かれていました。
そして、それは「日本人的な感性」とおっしゃっています。
謝る必要はないけれども、一言「ごめんなさい」と言うことで事がスムーズにいくことがあるのですね。
もう一つの例として、村上世彰さんがインサイダー取引の嫌疑がかかっているところで、得々と自説を展開してしまったのは適切ではなかったとおっしゃっています。
私の知り合いで京都の経営者がいます。
その方は、何かあるごとに「すいません」「すみませ~ん」「あ、すんませんすんません」と呼吸するように謝って歩いています。
商売が成功し、大変なご苦労をされて今のお立場になられたのすが、謝ることに抵抗感がない。
「とにかく謝っておけば物事は波風立たないんですわ。」とおっしゃり、確かにそうかもしれません。
これは、日本独特の一種の危機管理ではないかと思わされていました。
池上彰さんは「ごめんなさい、すみませんの一言をこだわりなく言うのも、人生では大切なことです」と書かれています。
海外の流儀が浸透してきている世の中で、良い面もあるのですが、日本人の血の中にある日本独特の感性というのはなかなかなくなるものではありませんね。
私の意見としては、場面によって、表向きに対して謝る謝らないというのは、プロの立場であればもちろん考える必要はあると思います。
何でも謝ればいいということではなく、謝ることをもう少し洗練させていくことと、今何を言うべきかの判断することが大事だと思っています。