仲間の悪口を置き土産にして辞めるのは止めてほしい
音楽教室を経営している知人が、職場で上手くいかなくて辞めるとき、スタッフ(特にリーダー)の悪口を残していく人がいて困るとぼやいていました。
知人は、「去っていく人は良いのよ」と言います。
悪口を言われた人は、その方の目から見た印象がグループ内に残されてしまい、いづらくなってしまいます。
私も最近「辞めた人から聞いたのですが、あの人ってこういう人なんですか?」と、仕事に行っているある組織でメンバーから尋ねられ、困惑したことがありました。
客観的に見て明らかにそんなことはないはずで、何か行き違いがあったのかもしれません。面白くないこともあったかもしれません。だからと言って悪口の置き土産をして”後は野となれ山となれ”では、組織のバランスが崩れてしまいます。「ただの喧嘩だからほっておけ」では済まされないのです。そうなったら言われた方のフォローをしなくてはなりません。そのことを代表者の方にすぐにお伝えしました。
どなたかが気を利かせて言ってくださった方がいたから良いようなものの、気がつかなかったらそのままになっていたのではないでしょうか。
人が3人以上集まれば人間関係いろいろと出てくるのは当然だと思います。
特に、リーダーを任された人というのは、いくら気を遣っておられたとしても、どうしても言いたくないことも言わなくてはならない立場です。
もし何か言われたとして、悔しい思いでやめるのだとしても、それは残る仲間に言うべきではないと思います。
言ってやめたとしたら残された人の『立場』がありません。
もし辞めるとき言うのなら組織の代表に直接言うことが、去っていく組織をよくすることになると思います。
もし、私が何かの理由で組織を辞めるのだとしたら、何も言わずに去るか、無難な理由をつけるか、心からその組織に良くなってもらいたいと思えば代表者の方にそっと申し上げます。心あるリーダーでしたら「それは自分の鏡である」ことを認識するであろうし、対策をとられるのではないでしょうか。
何かあって辞めるにしても、在籍していた間はお世話になっていた、成長させていただけた、という感謝の気持ちがあるはずです。
辞めどきこそ、その方の人間性が問われるのだと私は思っています。
その方はその後、同じようなことを繰り返しておられ、大事なものを失っておられるのを見て残念な気持ちになりました。
「自分は悪くない。この人は私にこんなにひどいことをしたの。だから私は良い人。」
そのように心の中が動くのは私もよく分かります。
私の中にも、そういう気持ちがあることは知っています。
でも、辞めるときこそ、人間の品格を問われると思って言葉を飲み込むべきです。選ぶべきです。
もしそれができないのであれば、自分の良心はずっと覚えています。それはいつか大反発して必ず自分に返って来る。
そう思います