「私は正義だ」と言った瞬間に何かが間違っているのではないか 「良かれと思って」したことが人の悪を引き出すことがある
クリストファー・ノーラン監督のハリウッド映画、「バットマン」シリーズ、「バットマン ビギンズ」「ダークナイト」「ダークナイト ライジング」3作を一挙に観ました。
この長大な物語では、一環して人間の善と悪についての深い問いを投げかけてくれます。
まさに9.11以後のアメリカが直面した問題を、この映画は問うているのではないかと思いました。
最近、仕事関係で問題を起こした方に激励のメールをしたことがあります。
その方自身の問題もあったのですが、私としてはご縁を感じていたこともあり、どうしても立ち直ってほしいと思ったからです。
しばらくして忘れていた頃にお返事がありました。
その内容を読んで驚いたのは、私のメールを読んで頭を整理されたようで、緻密に思考し破壊活動を開始しているということをにおわせる内容がありました。善意でしたことだったのですが、さらにその方の悪意を引き出してしまっていたのです。
なぜそうなってしまったのか?悩みました。
「良くなってもらいたい」、「私が出来ることなら力になってあげよう」、そして、その先には「私は良い人になりたい」、という思い上がったエゴがあったのではないだろうか?
「自分が”良い”と思ったことを他人にもしてあげる」これは素晴らしいことだと思うのですが、真実は何が「良いこと」であり何が「悪いこと」であるのか。
映画の中で、主役のブルース・ウェインは、悪にまみれてしまった都市「ゴッサム・シティ」を守るためにバットマンとなり悪と闘います。
しかし、「悪役」ジョーカーとの闘いの中で、ゴッサム・シティの良心「光の騎士」と言われた検事、ハービー・デントの悪を目覚めさせてしまうのです。
バットマンであるブルースは、良心に忠実に行動した結果一線を越えたために多くの人を犠牲にしてしまっていることに苦しみます。
ブルースの「憎しみを受けるのは辛い」という台詞が全てを物語っているように思えました。
また3作目「ダークナイト・ライジング」の「悪役」ベインも、辛い過去を背負って生きている人物。自分の良心という信念に基づいてテロ行動をしているのです。
それは、良心という仮面をはぎとった本質というべきものなのかもしれません。
まさに「地獄への道は善意で敷き詰められている」と感じました。
それでは、何が悪で何が善であるのか?
善の中にも悪という本質が存在し、悪の中にも善という本質が存在する。
物事は大いなる矛盾の中にある。
だから、「今、自分は正義である」と思った瞬間に、何かを疑わなくてはならない。
いつももう一人の自分が見張っていなくてはならない。
そう思います。
「バットマン」が、ハリウッドヒーロー映画の勧善懲悪物語ではなくなってきているところに悩めるアメリカを見る思いがします。
バットマンの3作とも、どんでん返しの連続で、最後まで目が離せません。
ノーラン監督は3作で完結と言っているそうですが、4作目もありそうな予感がします。
もし4作目があったら、”ロビン”の活躍もあるのでしょうか?想像するだけでワクワクしてきました。