幸せとは仕え合う「仕合わせ」にあるのです
「自分は一体なんのために仕事をしているのか。」
「自分はなぜ生まれたのか。」
「自分は一体何者なのか。」
「世界はなぜあるのか」
これらの問いは、自分でなかなか答えが出せません。
2012年10月6日、日本経済新聞に茶道裏千家前家元の千 玄室(せん・げんしつ)さんのインタビュー記事が掲載されており、その問いに対するヒントをいただいたような気がしました。
千さんは、お茶は「仕え合う『仕合わせ』にある」とおっしゃいます。
幸せは「幸」という字を書きますが、仕えるという気持ちが世の中を豊かにしていくのだそうです。
かつては経済人にもお茶の心がわかる方々がいて、「社会全体にもてなしや相手に対する心配りがみなぎっていた。今はその精神が薄れている。残念なことだ」とおっしゃいます。
以下、その哲学を引用してご紹介します。
・・・・・(以下引用)・・・・・
「鏡に映る自分の仏頂面を見て情けなく思う。それなら鏡に向かって朗かに『おはようございます』と言ってごらんと。そうすればどんな人にでも挨拶ができるというわけです。(中略)どんな苦しいことがあってもこの挨拶で乗り越えていけます。」
「『和敬清寂』です。お茶を差し上げるときにあなたが幸せになりますように、平和でありますように、という気持ちで茶筅を振るのです。(中略)尽くすために自分の心の修行をするのです。」
「和敬清寂というのは簡単に言えば、自分自身を見つめ、自分の心を確かめること。私は朝4時に起きて座禅をする。するとひらめいてくるものがある。心のあり方が見えてくる。お茶の道は『和敬清寂』なしに入れない。」
「茶室という空間からはひとつの大きな思想、哲学が生まれた。古(いにしえ)の上に今がある。茶の道というのはそれを知り、自分の心を探ることなのです。
・・・・・(以上引用)・・・・・
上手くいかないのも、上手くいくのも、自分次第。
仏頂面をして不満をふりまいていれば、良き人は去っていきます。だから「認められない」「きらいな人がいる」は自分の鏡であろうかと感じます。
挨拶をすること、感謝をすること、平和を願うことで、他者と和解し、最終的には「自分と和解する」ということなのです。
新しいことや霊感を求めて、わざわざ遠いところに行っても、自分の中がクリーンになっていればより得るものは大きいと考えます。新しいことは自分自身の中にある。「真のイノベーションは自分がすでに知っている。」私はそう思います。
そのためには自分自身を知ること、自分自身と対話すること、ではないでしょうか?
古きことがないがしろにされるご時勢ですが「いにしえ」への感謝こそ人の心を豊かにするのではないかと思いました。
宇宙が生まれ、地球が誕生したこと、そして過去の先祖がいたから今の自分がある。今自分が生を受けて生きているということの奇跡。そう考えるとそれだけで有り難いと思います。
その感謝の気持ちがあれば、自分の心がクリーンになり心を探ることができるようになる。自ずと道は開かれてくるのではないかと考えます。