私の体が尽きても後悔しない そう思えたとき生ききる心構えができたのだ
大病をして生死の狭間を経験した方を見るといつも感じることがあります。
前向きで「生きるのが楽しい」。
そして、本来持っていたであろう眠っていた才能や不思議な能力が花開いている。
多発性硬化症を発病。死の恐怖と直面した、伊藤智也さんは、プロ車いすランナーです。
2012年7月12日日本経済新聞「患者の目」に伊藤さんの記事が掲載されていました。
伊藤さんは、身体を動かす機能をすべて失ってから2ヶ月後、機能が回復し始めます。下半身まひ、左目失明という重い障害が残りましたが、日々回復していく体に「毎日が満たされ、感謝の時間が過ぎていった」そうです。
・・・・・(以下引用)・・・・・
走るたびに再発する病気に悩まされながら、それでもいい、私の体が、どこかで尽きても後悔はしない。そう思えたとき、私は困難を受け入れ、闘う心構えができたのだと確信している。
人生の多くの障害が立ちはだかり進路をふさぐ。掲げた夢が大きければ抗う波も大きくなるもの。しかしそのときこそ精神力を鍛えるチャンスだ。大きな波に砕け散った自分の夢のかけらを何度でも拾い集め、何度でも立ち向かっていきたい。諦めなければいつの日か、その波を凌駕する自分がそこに誕生することを信じて。
・・・・・(以上引用)・・・・・
もし自分が明日死ぬとしたら。
今の見ているこの光景はもっと違って見えると想像します。
きっと、今よりもっと光り輝いて見えるのではないでしょうか。
あと何十年も生きられる。平均寿命まで生きられる。
しかし、誰があと何十年も生きていられると保障してくれているのでしょうか。外に出たら事故にあうかもしれない。大地震が起きるかもしれない。病気になるかもしれない。若くても明日のことは分からない。平均寿命など何の保障もないのです。それは幻想でしかありません。
生死の体験をした方がつかむもの。
それは「今生きていること、命与えられていることへの深い感謝」ではないでしょうか。
私は伊藤さんのような壮絶な体験を持つわけではありません。
しかし、出来る限りの想像力でその境涯に近づきたい。
そしてもし困難が立ちはだかったら、それは自分を成長させ、魂を鍛えるチャンスでもある。それは、人生からの自分への課題であり問いである。
生きることとは、一見他人との競争にみえるけれども、本当の相手は自分の中にあるのです。
そして今、この瞬間を生き抜いてみたい。
そう思いました。
伊藤さんご活躍を。そして有り難うございました。