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正直者は損をする? 純朴であることの成功へのゴールデンルール

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会っていて「この人はかなわないなあ」と思う人がいます。
 
惚れてしまう、というレベル以上のものを感じます。
まだまだ今の自分には出来ない領域に軽々と達していらっしゃる。
 
「純朴な人。」
 
人は「一周回ってもとに戻る」と言われます。
 
人生の様々な経験を経て、原点に戻る。
最後は子供のような領域に達する方がいます。
成功に対する執着がなく今の状況に満足し感謝している。
 
大変に気に入っている旅館があります。
緑深い山々に抱かれた場所にあり、そこだけは時間がゆっくりと流れる。
そこのご夫婦が御年80歳近いでしょうか。今は経営を息子さんにお任せなさり、細やかに淡々と旅館の仕事をなさっておられる。
 
登山をして帰ってくると「お餅をついて待っていたんですよ。本当に良くいらしてくださいましたね。」と、温かい手作りの草もちを部屋に届けてくださる。そのときの笑顔のなんという邪気のなさ。心から癒されてしまいます。
 
この方々に会いたいがために、またせっせと訪れてしまうのです。
 
私はピアノの生徒さんの親御さんが「自分の子供は勉強が出来ないし欲がない。」とおっしゃると、「ぜひ、その子の良いところを無くさないようにお願いします」と、申し上げたいです。本当は、言いたいのだけれども大抵は黙っています。私のような者がまだまだ立派な親御さんたちに何か言えるような立場ではないと思っているからです。
 
「愚図」「のろま」と馬鹿にされながらもにこにこと笑っているような人がいます。
私も子供頃から相当馬鹿にされた方ですが、笑っていられるほどの大人物ではありませんでした。
「悔しい」「いつか見返しやりたい」という、邪気が立ち上っていたのを覚えています。その目つき、そのギラギラしたものが伝わり、だんだんと人を遠ざけました。
 
本当は、「周囲に馬鹿にされてナンボ」なのだということが今は分かります。
馬鹿にされたら笑っていればよいのです。
笑っていられるというのは、人間として大変に立派な素質なのです。
 
人生で大成功したような方、悟りを開かれたような立派な方は、皆さん素晴らしく素直な領域に立っていらっしゃる。
 
それをすでに持っているということです。
 
私が好きなTEDの講演で指揮者のゼンダーがいます。
なんというあの邪気のない表情。自分は立派で厳格なクラシック指揮者であるなどということは微塵も考えていないでしょう。
 
ゼンダー氏を良く知る人から「あの人は若い頃は相当厳しい世界を経験されたようだけど、今は本当に軽やかな世界で生きておられますね」とうかがい、ハタと納得致しました。

 
素晴らしい領域を目指す素質は誰にでもある。
 
良き人生を生きるために。今を感謝していきたいと思います。

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