「恥をかくことを恐れるな!」の間違い
日本は「恥の文化」と言われています。
例えば、親の躾でも、幼い頃から「こんなことしては恥ずかしいでしょう?」と言われて育つ。
社会人になっても「これは恥ずかしいことだよ」と注意を受ける。
「これは法律違反ですからいけません」とか「規則で決まっているからだめです」と言われるよりも、なんと辛いことか。
恥ずかしいことをしたくない。
お天道様に顔向けできないようなことをしたくない。
それが体に染み付いて育ってきているのです。
「恥ずかしい」とはなんと素晴らしい文化ではないかと思います。
つまり、何かに迷ったとき、自分の良心による選択をすることが一番正しいことだと考えるようになるからです。
転職や、責任を持って始めた仕事を辞めようと思うときもあります。
そういうときの意志決定において何を基準にするかというと、自分の良心に基づく判断をしようということを考えます。
「ここではもう自分がやることはなくなった。」「楽になった。」
そう思うときだと決めています。
これは、どこかに「人として恥ずかしくない辞め方をしよう」という気持ちがそうさせているのではないかと考えます。
しかし恥は誰でもかきたくない。
私は自分がチャレンジをして恥をかくと何日も引きずることが良くあります。しかし最終的には自分自身の成長につながると信じています。
以前は他人にも「チャレンジして恥をかくことを恐れてはいけない」と考えていました。
しかし今は、人を相手にするお仕事の場合においては、可能な限り「恥をかかせないように」することを配慮しなくてはならないと思っています。
なぜなら、やはり日本は「恥の文化」だからです。
この部分においては、気を遣い過ぎるということはないと思います。
こちらが、大変気をつけていたとしても、価値観の違いから「恥をかかされた」とおっしゃる方もいます。これは、仕方のないことかもしれません。
恥をかくことで、二度とやる気を失ってしまったり、情熱が冷めてしまってはもったいないことですし、もし次ぎにつながらなければ何も生み出しません。恥をかかないことで、成長の加速度が落ちたとしても、それでも恥をかかせるべきではないと私は考えます。
それでも経験不足の失敗においては、私は全力でサポートします。
何か注意をしたり、間違った点を指摘したり、違う厳しい意見を言ったりする場合、やはり皆の前でやってはいけないのだと思います。100歩譲って、人の見ていないところで一対一で行います。
しかも、議論をして勝つ自信があったとしても、そこを負かしても何の良いこともありません。それ以後、その方との関係が爽やかになるということはあまりないように感じています。
逆の言い方をすると、「恥の文化」を深く考えれば良い仕事のやり方が見えてくるということです。
これからは、「恥」だけではなく、「文化」をふまえたところでの仕事の方法が必要になってくる時代だと思っています。