集中力がないこと 忙しくて集中できないこと 実はそれが自分の持つ不思議な能力を引き出している
こんなに忙しいのに、本業である仕事はもちろんのこと、多芸で豊かな創造性を持つ人がいます。
それは、偉い人ほどそうであるように思えます。
志のある人というのは、「この人がなぜこんなことに」と思えるような一見雑務と思えるようなこともおろそかにしません。
例えば、ゲーテは、悩める若者から手紙をもらい、これは励ましにいかなくてはと思い、何日もかけて会いに行くような人だったようです。
ゲーテのような才能のある人は、芸術活動のために集中したほうがよいのでは、とはからずも思ってしまいますがそうではなかった。
しかし、人類の宝のような素晴らしい作品をこの世にたくさん残してくれました。
その創作の泉はどこから沸きあがってくるものなのでしょうか。
未熟な自分も、日々「ああ、これさえなければなあ」「もっと時間を使って集中すれば良い物ができるのになあ」と思うことしばしばです。
しかし、不思議なことなのですが、「忙しい」と感じるときほど、仕事の仕上がりはそう悪くないということに最近気がつき始めました。
道元禅師の教えで、「前後際断」や「心身脱落、脱落心身」などの教えがあります。
過去もない、未来もない、あるのは今だけだ。日常生活そのものが仏作仏行であり、座禅であり、仏法そのものであり、その行は切れることはないということ。
優れたものを残そうとか、他者に賞賛されるような良い仕事をしようとか、意識するあまり、自意識の罠にはまり、そのものに集中できない、そして創造性が広がらないということがあります。
特に、創造性とは無意識のものであると私は思います。
あれこれ雑多のことを行っている、その合間にふと訪れる霊感というものがあります。
台所で集中して野菜を切っているときにひらめく曲想。
料理を放り出して急いで楽器に向かうこともがあります。
夢中でピアノを弾いているときに、ふと訪れるプレゼンのアイデア。
弾くのを中断してノートに書き留めることもあります。
何も意識していない、「降りてくる」としか表現できないような瞬間です。
「なんて集中力がない」、と思っていた時期もありましたが、無意識のものとは、何か自意識からはずれているときのほうが豊かになるのではないかと考えます。