先生の浮気はあまりおすすめしないその理由
理想の先生、理想の上司。そして、理想の自分。
一度きりの人生。理想を探し求めるのは素晴らしいことだと思います。
しかし、理想を求めるあまり職場や先生を次から次へと変えてしまわれる方をよく見かけます。
例えば私の場合、声楽の先生を変わったことがあります。
実力のあるソリストで、とても素晴らしい方だったのですが、何年か本気で続けてみても上達が見られなかったからです。せっかくのご縁だったのにと思いましたが、そのときだけは決断しました。
今お願いしている方は最初のレッスンで、「なんという子供だましのような発声方法だろうか。こんなので上手くなるわけがない」と思ったのですが、「とにかく言われたとおり2年やってみよう。それで何の変化もなければ他をお願いしよう」と決めました。不思議なことに、その新しい方法を地道に実践しているうちに、1年くらいたって今までにない効果が表れだしました。
初めの印象で辞めていたら、今の私の状況はなかったと思います。
これは自分にはどうしても合わないと思ったら変わってみるのも一つの手です。
しかし、決断したら無条件に信じてやってみると道が開けてくるのではないかと思います。
私の知人で音楽教室の経営をしている方がいるのですが、
「いろんなところを変わってくる方って、スタッフの講師でも生徒でも、たいてい前のところの不満を口にするのよね。そういう場合、大抵続かないの」
と話していました。
「メソッドがよくないから」とか「相性が合わない」とか「もっと有名な人につかなくては」「上司が嫌いだから」など、出来ない理由を自分以外に求めてしまうのだといいます。
楽しいことや喜びもありますが、本来、お稽古や仕事は楽なだけではないはずだと思います。自分の出来ないことにあわせていくことや、自分を成長させることは苦痛が伴います。
また、上司や教える立場も、伸びない方に対して「なぜ良くならないのか」と試行錯誤している。そういう厳しいときにスッといなくなってしまう方が多いのも確かです。
究極は、人間の心と心の格闘でもあるのです。
そこから磨かれるものなのです。
殻を破る直前こそ、一番苦しみをともなうときです。
「ああ、もう辞めてしまいたい」
そうつぶやいた瞬間こそ、成長のときなのです。
だから、あともうちょっとだけ頑張ってみる。その「もうちょっと」の手前で降りてしまうのはもったいないこと。
「もっと良い職場があるのではないか」
「もっと素晴らしい自分の才能を引き出してくれる人がいるのではないか」
そう思って辞めてみても、かならず同じような宿題が繰り返される。
つきつめると物事の基本はそんなに変わらないことに気がつきます。
いったん決めたら、腹をきめて続けてみる。
卒業証書をいただけるのは、楽になったとき、簡単になってしまったときなのだと思っています。