オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

「この人達は才能のない人達なんだよ」 上司が敬語を使ったら

»

「彼らは、馴れ馴れしく話したり、お酒飲んだり、ちょっと気を許すとすぐ緩くなるね。『この人は自分たちと同等だ』と思ってしまう。自分の場所まで降りてきてほしいんだ。そのほうが気が楽でしょう?」
 
「それは、僕たちみたいにお稽古の経験がないから。師匠に厳しく言われて育つと、物事を習うときはピシッとしないと自分が成長しない、ということが骨身にしみてわかっている。」
 
「でもさ、才能のない人達なんだよ。楽しくやりたいんだから。そうなったらそこまでの人。そこに合わせて教えるようにしている」
 
経験豊富なベテラン指揮者の方とお話ししていたときのことです。
 
話しを聞いて、ある意味「プロだ」と思いました。
きっと教えていただいているほうは気がついていないでしょう。
未熟な自分自身は出来ない。怖いことだと思いました。
 
ただし私は、指揮者が「降りてくる」という意味と、「関係が緩くなる」とは全く別だと思っています。
できるだけ分かりやすくお伝えするために自分自身が「馬鹿になって」話しをすることはありますが、賢い方はそういう姿を見たとしてもその後態度を崩すことはありません。
 
私が相手に対して一貫して考えているのは、一人の魂を持った人として遇すること。そして成長を心から信じること、です。そこには人の可能性に対する敬意があります。
 
小さなことですが、私は仕事のとき、どんな方に対しても、出来る限り敬語を使うようにしています。名前もニックネームは使わずに「OOさん」と呼びます。
 
年上はもちろん、年が下であっても、年齢は関係ありません。
だから、私は人に対して年齢を聞くことはほとんどありません。
 
敬語を使うと距離感が出来てしまうと思われるかもしれません。
名前を呼び捨てにし、ラフな話し方をして距離感を縮める方法もあるかもしれませんが、音楽の現場で敬語を使わなくなったとたん、組織の空気が緩んで下手になってしまった経験があり、今では使っていません。
 
仕事上どうしても年上の方々が多くなります。自分が指導者の立場であった場合、年齢を言ったとたんメンバーが急に馴れ慣れしくなってしまったことがありました。
 
「そんなこと出来ない~」
「そう思ってたでしょ?」
「っていう感じ?」
きっと「まあまあ、そんなに気を遣わなくていいんだよ」という有り難いお気持ちなのだと思います。でも、お堅い人だと思われるかもしれませんが、いつかわかってもらいたいと願いながら相手に対してひたすら敬語を使い続けます。

 
そして私は、本当は力があっても、現在力が発揮できていない人達の力を過小評価をすることは、組織にとって損なことだと思います。
 
能力開発ができていない人のために、他の方がその埋め合わせをするのは限界があります。そして、そのままにされている方々も寂しい思いを心のどこかでされていると思います。
 
私の尊敬する上司が美しい敬語を使う人でした。
厳しくなるときほどさらに言葉が丁寧に優しくなる。そういうときは心底震え上がってしまうほどです。それは、心から相手の成長を願う姿なのだと思います。
 
私は、良きご縁でめぐりあった仲間たちが成長する場をつくりたい。そして、未熟な自分が「おかげさまで私が一番成長させていただけました。有り難うございます」と感謝申し上げることができるような場であったらと願っています。

Comment(0)