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ライフワークとしての学びを考えます。

東大に合格するには頭がカラッポなほうが良い

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音大や音大付属高校の受験が終わると、目的を達成して抜け殻のようになってしまう人が多いのを良く見かけます。
 
受験するまでの勉強期間が長くハードなだけに、「これで何とかなる」と思って入学してしまう。これで音楽家としての免許証がいただけたと勘違いしてしまう。
また、音大受験は学校によって課題曲があるので、「滑り止め」がほとんど出来ない。
だからと言って一般大学の受験勉強も、音大受験の準備をしながらできるほど甘くはない。
幼い頃からまるで我が子同然のように育ててくださった先生の愛情と熱意、親がかける期待の重圧も、まだ15歳や18歳の子供にとっては、簡単なものではない。
 
そういうプレッシャーを乗り越えて希望の大学に入って解放感から満足してしまうと、あっというまに3年間や4年間は過ぎ去ってしまいます。
 
最近、子供のコンクールが大変盛んです。
小学校低学年のうちから、年齢ごとに細かく枠付けされたコンクールがあり、だれでも受けられる。子供たちはコンクール漬けになります。
小さい頃から音楽で順位をつけて競争させるのは、私はあまり賛成ではないのですが、先生によっては、コンクールを上手に利用されて子供たちの能力を伸ばしておられる方もいます。
 
ただ、いくらピアノやヴァイオリンが早期教育のものだといっても「あの人は才能があるから将来は約束されている」と思うのはまだ早いのです。
コンクールで一等賞をとる才能と、持続させていくことは別で、道半ばで断念せざる得ない方も私の周囲ではたくさんいらっしゃいます。
 
三田紀房作「ドラゴン桜」という漫画があります。
つぶれかけの低偏差値高校再建を請け負った弁護士の桜木健二が、1年のうちに東大合格者を出すというストーリーです。
 
桜木は、
 
「東大に合格するには、たくさんの知識を記憶する頭よりカラッポなほうがいい。
 
カラッポのほうが色々な物事をその場その場で吸収するための手段を持ちやすい。
 
情報を変形させ自分なりの意見を作り出す手段を持つ頭が良い。
 
東大受験はテクニックである。」
 
と言い切ります。
 
この考えはある意味、早期音楽教育と似ているところがあると感じました。
 
子供がコンクールで演奏する課題曲は、人生経験を積み、その深みを知る大人の感情を持つ芸術作品。
素直な子であればあるほど、先生が細かくテクニックを指導をすれば吸収してくれる。しかし子供なりのフィルターを通しての演奏になります。やはりまだまだ本来の大人の鑑賞に堪えうるだけの内容を備えることは難しい。
テクニックを身につけることはとても大事なことですが、それがそのまま社会で通用するとは限らないのです。
 
つまり、10代やそこらで将来が決まってしまうことはないということ。
その時点でダメだからといって絶望することはない、ということです。
 
本当の勉強はその後です。

音楽はその人の人生がそのまま表れ、社会で生きている方々の心に訴えるのだと思います。
社会と格闘し、人と悪戦苦闘し、長い道のりを歩み続けていく先にある、その頂を目指そうではありませんか。

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