本物とは何か
「これは本物だ」
「本物を目指せ」
とかよく言われますね。
では、ここで言う「本物」とは何でしょうか?
私は、それは「誰にでも分かるもの」だと思っています。
絵でも、音楽でも、食べ物でも、スポーツでも、ビジネスでも・・・。
クラシックでいえば、モーツァルトが、ベートーヴェンが、ショパンが、こんなにも長い間人類に愛されてきたのは、誰にでも分かる本物だからだと思っています。
事前情報やブランドなど関係なく、名刺を見る必要もない。
「あれ?これは何か違う。」と感じるものだと思います。
それは目の前で演じられたらば「泣く子も黙る」ほどの子供でも感じるもの。
旧ソ連のピアニスト、リヒテル(1915~1997)は、私は人類最高のピアニストだと思いますが、1950年の35歳にして初めて国外に出て演奏しました。しかし、冷戦で対立していた西側諸国への演奏旅行はなかなか当局から許可が下りず、評判が伝わるのみで「幻のピアニスト」とも称されるようになったのです。
そのリヒテルが、1960年ようやく西側での演奏を許可されます。
西ベルリンで初めて演奏したときの動画をご紹介しましょう。
L.マゼール指揮、放送交響楽団との共演でブラームス作曲ピアノ協奏曲第2番、第一楽章の冒頭。
ピアノの出だし。
ただ単純にゆっくりと和音を鳴らすだけなのに、心が震えるような情感。なんという深遠な音。魂を吹き込んでピアノで歌っている。
弱い音なのに、雄大で大きさを感じるのです。
これこそがリヒテルの凄さ。
伝統あるプロのオーケストラというのは、一人一人が一過言もっている芸術家集団。「幻のピアニスト」という評判はあっても、「どうせまたいつもの鳴り物入りなんでしょう?」くらいに思っていて、ちょっとやそっとでは信じないくらいの人達です。
最初は何となく「ふうん」という雰囲気でいるのが、いざリヒテルが弾きだすと、周囲の弦楽器が「ピクリ」とするのが分かります。
そして0:42から始まるゴツゴツとしたエネルギーをこめたパッセージ。音が鳴っているときよりも、音の無い瞬間にさえ巨大な重力を感じるのが並みのピアニストではありません。そして、音一つ一つに宿る精神の強靭さ。
0:59になると、たまらずチェロ奏者が、リヒテルの手元を覗き込み始める。周囲の弦楽器奏者も身を乗り出し、固唾を呑んで見守っているのが映像からも分かります。
1:32では、普通ならもう少し余裕を持ってオーケストラの出番を準備するのですが、全員リヒテルに夢中になっていたのか、「おっと・・」という感じで楽器を構える様子が見て取れます。
これほどのプロ集団が夢中になるピアニストが以前は存在したのです。
久々にリヒテルの音を聴いて、本物とは何かと考えてしまいました。
魂が共鳴し、感じるものを信じたい。
そのように思いました。