どのようにして自分のリミッターを切るのか
真の芸術とは、狂気の沙汰そのものなのではないかと思えます。
山田耕筰作曲、北原白秋の詩による最高傑作「曼珠沙華」は、亡くなった子どもの年と重ね合わせながら曼珠沙華の花を摘むという歌です。
独唱曲が有名です。合唱曲に林光さんが編曲したものもあり、合唱団でも練習しています。
この作品は「逆付点」が繰り返されるのが特徴です。
「逆付点」とは、スキップのリズム「タッカ、タッカ・・」の逆で「タター、タター」というリズムのことです。
この逆付点が独特の雰囲気を醸し出していて、容易に踏み込んではいけないような世界を表現しています。
そして林さんは、「このピアノパートだけは山田耕筰のオリジナルに手をつけてはならない」と常々おっしゃっていたようです。それほど完璧であるということなのですね。私には、このピアノパートを演奏すると、あまりの奥深さに奈落の底に引きずりこまれるような気持ちになります。
魔境に入ってしまって帰ってこられなくなるような感覚とでもいいましょうか。
林さんが「手をつけてはいけない」と言ったお気持ちが分かるような気がします。
この曲の中に、瞬間的に、静かなP(ピアノ=弱く)からff(フォルテシモ=とても強く)まで一気にクレッシェンド(だんだん強く)するところがあります。短い時間でこういうクレッシェンドは普通あまりないのです。単なる爆発的なクレッシェンドではありません。突然気がふれてしまうような母親の狂気を表しているクレッシェンド。そこに気がついたとき、思わず後ずさりしたくなる自分がいました。これは普通ではできない。
なりふりかまわず、自分の限界を超える表現。
自分が自分でなくなってしまう、という領域に踏み込まなくてはなりません。
山田耕筰は演奏者にそこまで要求しているのです。
素晴らしい芸術家というのは、自分のリミッターをどのように切るかというのをよく分かっていると思います。
だから、演奏は怖いのです。
リミッターを切る限界に近づくと、体が言うことをきかなくなる。ミスも多くなる。
私は師匠から
「気持ちを入れると、入れれば入れるほどミスが多くなるでしょう?それでいいのです。その状態でも思い通りに体が動くようにする。そのための練習なのですよ。」
と教えられました。
練習と経験を積むと、どんなに振り切れていても10%の冷静さを持つことができるようになります。恐れないで追求していきたいですね。