お前は個性などない。空っぽだ。真の創造性にあふれる人になるために
「私は才能がない」
この言葉の奥深いところには「他の人と違う何か私の光輝く個性がない」という意味が重く存在すると思っています。
学生時代、師匠に問う自分がいました。
「どうしてもある演奏家に影響される。それは単なる真似であって私の音楽ではなくなってしまう気がします。聴かないほうが良いのでしょうか?」
師匠は答えます。
「いくら真似をしてみても、あなたが演奏すれば必ずあなたの音楽になる。」
2012年1月30日日本経済新聞にて日経小説大賞の選考委員3氏、辻原登さん、伊集院静さん、高樹のぶ子さんの座談会が掲載されていましたのでご紹介します。
・・・・・(以下引用)・・・・・
「音楽会ではベートーヴェンとモーツァルトとブラームスばかりがもてはやされる。それは彼らが人間の本質にかなって五感を刺激するからなのだが、20世紀になってから彼らのような音楽家は登場していない。なぜだろう」というものだった。それは憧れているもの、よきものの模倣をだれもしなくなったからだ。(高樹氏)
自分が信念としているものと同じにおいがする作家の文章を見つけることだ。息遣いは全部違うけれども、同じような嗅覚、文学において自分が目指しているのと同じ頂を目指しているように思える人の文章だ。(伊集院氏)
「書くな。読め」ということだ。読んで、読んで、読んで、書くときはまねればいい。「君の中にオリジナリティーなど一つもない」という。まずそこから出発しないといけない。今の若い人はみんな自分の中にオリジナルなものがあると思い込んでいる。それは幻想だ。まずその幻想をぶち壊さないと。(中略)本当は何もなくて空っぽであるということを思い知らせないと、本当のクリエーティブな作業はできない。(辻原氏)
・・・・・(以上引用)・・・・・
3氏の言葉が学生時代の問いと重なった瞬間、物凄い勢いで何かの力が身体の中を駆け巡るのを感じました。
私は自分に何を期待していたのだろう?
聴衆を狂わすような魔法か?天才への憧れか?誰もみたことのない世界か?
その力がなければ「才能がない」と喚いていた。
「私の音楽」・・・何たるエゴイズム。
「お前は空っぽなんだよ。」という心の声が聴こえてきて、なぜかほっと安堵する自分がいました。
空っぽでいいんだ。
それならば、人生やれることはまだたくさんある。
聴こう。読もう。観よう。
そして、最初から一流でなくてもいい。一歩を踏み出そう。