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ライフワークとしての学びを考えます。

人が成長するために 育てるゆとり

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昨日の記事では、聴くゆとりについて書きました。
声楽というのは、教えるほうもゆとりが必要です。
 
特に日本人は、西洋の音楽をする場合、骨格の違いから上達が遅いのです。
外国のオペラ歌手が歌うCDのような声は、すぐに出ないと思ったほうがよいと思います。
 
だから、分かっている方は、少々出来ないことがあっても、大目にみてあまりうるさくは言いません。
何度も厳しく言ってしまうと、人間の声は心がダイレクトに影響しますから、かえって良い声が出なくなってしまうのです。
 
だから私は「三回ルール」といって、三回やってだめならば、「今はまだ出来る力に達していない」と判断して、次回の練習に回し、そのとき出来ることに時間を使います。
合唱でありがちなのですが、ここを「だめだだめだ!もう一回!」と50回繰り返す指導者もいて、見ていて雰囲気が悪くなるし、自信をなくすし、ろくなことがありません。
 
私自身が声楽のレッスンを受け始めた頃の録音を久しぶりに聴いてみたのですが、音がぶら下がっているのが分かりました。でも、先生は何もおっしゃいません。
あらためて「良く辛抱してくださった」と思います。
これは「耳が悪くて間違っているのではない。発声が未熟なせいだ」ということが良く分かっていらっしゃるのですね。
そのとき出来ることだけを冷静に、しかし厳しく指摘していました。
 
実際の現場では、これを我慢できずに怒ってしまう方も多いのです。今から見れば、指導者としてお見事でらしたと思います。
 
「僕は"持ち声"がなかったから、努力で獲得したんだよ。だから、"上手くなるやり方"は分かる。」
とおっしゃっていました。
 
「持ち声」とは、そんなにトレーニングをつまなくても良い声が出てしまう人のこと。もともと良い声を持っている人というのはいるもので、「あなたいい声しているから声楽家を目指してみたら」と言われてその道に入る人も多いのです。
 
しかし、歌うほうも必死ですから、先生に「ここをなぜもっと言わないのか?」とか「もっと難しい曲を歌いたいのに」という思いが募ることもあると思います。
 
実力がついていないところで、難易度の高い作品を歌ったり、無理なトレーニングすると、歌手生命を縮めます。
 
ここは我慢比べですね。
 
理解とゆとりと冷静さ。そして辛抱。
 
良いものを育てるには、これが必要なのではないかと思っています。
そして、そこで養った成長とは、いつか世の中のために役立つのだと信じています。

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