人を表現する言葉を持っているか
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ドイツに行ったとき、日本と違うと思ったことの一つに、夫婦や恋人同士の呼び方があります
。
仲が良いほど、お互いが「私のネズミちゃん」とか「う○○ちゃん」とか呼び合っていて、少々引いてしまう自分がいました。
今、シューマン作曲「ミルテの花歌曲集」より第一曲「献呈」という作品を歌っています。
これは、シューマンがクララとの結婚のときに妻クララに捧げた曲です。心が高揚するようなピアノ伴奏にのって、結婚する喜びと妻となる人への深い愛情を表現しています。
歌っていて気になることがあります。「献呈」の歌詞は、愛する人を表現する言葉が豊かなのです。
たとえば、「君」は「僕の喜び」「僕の苦しみ」「僕の生きる世界」「僕の目指す天国」「君という墓に悩みを永遠に埋めてしまった」など、よくぞここまでと思えるほどです。しかし、具体的に言葉を持って表現しているのは立派。
この作品を歌うと、好きとか嫌いとか関係なく、人に対して「言葉を尽くしているだろうか」「言葉に心を込めているだろうか」とふと考えてしまいます。
また一方で、日本というのは「言わなくてもわかるでしょう?」という美しい文化も持ち合わせていることは確か。「このワイン美味しいね」「うん、美味しいね」、「コンサート良かったね」「うん、良かったね」で、会話が成立してしまうようなところがあり、それもまた深いのだと感じています。
しかしもう一度、言葉を吟味してみることも良いのではないか、と思っています。
それでは本日は、ドイツ人ソプラノ歌手、ディアナ・ダムラウの歌でシューマンの「献呈」を聴いていただくことにしましょう。
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