人生の時間を使うということ
近頃、登山がブームのようです。
私も数年前まではよく山に入っていましたので、楽しさはよく分かります。
天気がよければ、思ったより歩きやすくても、天候が悪化すると状況は一変します。視界は悪く、足元は滑りやすくなり、難易度は数段上がってしまうでしょう。どんなに低い山でも「怖い」と思うことはよくあります。
穂高に行ったときはクサリ場やハシゴもきちんと整備されていました。3000メートル級でも、ある程度の体力があれば登れてしまうのです。
一見安全そうなのですが、気を緩めると滑落の危険性を伴います。何度かヒヤリとしたこともありました。歩いていると、頻繁にヘリコプターが飛んでいて、周囲の登山者が「また滑落だ」と話しているのが聞こえます。
残念ながら、今年の秋も滑落事故が相次いだようです。
歩いているときはさほど感じないけれど、登山とは、本当は死と隣り合わせなのです。
山小屋で、ある中高年のパーティと一緒になったのですが、ガイドさんが翌日のルートと、そのルートは多少の危険があることを懇々と説明していたのが印象に残っています。
そして、明日登頂するであろう憧れの山々を想像し、興奮してはしゃいでいる方々に
「絶対になめてかからないでくださいね」
そう言っていました。
なぜか。
山は、生き死にが伴うからです。
「趣味だから」「息抜きでやっているから」「プロじゃないし」と、言い訳は通用しない。プロであろうとアマチュアであろうと、自然は容赦しないのです。だから、経験者でも初心者でも、準備は万全に行います。
私が師事していた指揮者のY先生がよくおっしゃっていました。
「音楽をするのに心構えが出来ていますか。」
「水泳をやるのに洋服でプールに来る人はいませんね?登山をするのにハイヒールで来る人はいませんね?そんな気持ちでここに来ていませんか。」
「例えば、いいかげんな気持ちで山に登ったら怪我をする。場合によっては死ぬこともある。音楽は一見、命を失うようなことはないかもしれない。しかし同じなのです。人生の貴重な時間を使っている。ここで命を使っているということなのですよ。」
人生の貴重な時間を使っている。そして、もしかしたら明日死ぬかもしれない。
そう考えたら、まず、音楽をするべきかどうか、音楽に時間を使うかどうか、というレベルから見直すはず。
一見生き死にに関係ないように見えて、実は重要な選択しているのです。
人生どう生きようと自由ではあります。
しかし、静かな気持ちで自分の時間を見つめなおしてみることもあっていいかもしれませんね。