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ライフワークとしての学びを考えます。

選ばれた者に与えられる福音

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ベートーヴェンは幼い頃、「息子をモーツァルトのようにしたい」と父親ヨハンからスパルタ教育を施されています。
 
当時のヨーロッパで、モーツァルトは「神童」とよばれ、社交界の花形。
ベートーヴェンへの過度な教育は自分の呑み代を稼がせるため、などと言われていますが、本当のところは、音楽家としては大成できなかった自分の成しえなかった夢を息子に託したのだと思います。
 
夜中に泥酔して帰宅しては、寝ているベートーヴェンを叩き起こし、殴りながらピアノの練習をさせたそうです。
どこかの角に激しく頭をぶつけただけでも、頭が白くなり、思考が停止してしまうものです。そんな状態で、良いイマジネーションがわくものなのでしょうか。
私は、力による指導でよい結果を生むことはないと思っています。
 
殴られながらの稽古、しかも実の父親から受けた暴力は、その後ベートーヴェンにとって生涯心に大きな傷を負わせることになります。
 
ただ、負のエネルギーがベートーヴェンの精神に強靭な力を与えたことは確かであると思います。
 
これが教育の難しいところだと感じています。
 
皮肉にも、彼は逆境になればなるほど素晴らしい音楽を書いていったのです。
 
現在でも、私たちがベートーヴェンの音楽に励まされ、勇気をもらい、心を豊かにしてもらえるのは、「苦難を乗り越えよ。そして喜びにいたれ。」という彼の魂の叫びが聴こえてくるからなのだと思います。
ベートーヴェンが200年前に生きた人であろうと、その精神は人間にとって普遍的なものであるのです。
 
その後に起こる、難聴や繰り返される病との闘い。
なぜ、ここまでの苦悩と絶望を与えられたのか。
 
周りでも、なぜか「どうしてこの方ばかりが」と思う。そういう方がいらっしゃいます
まるで天がその方を選んで与えているかのように感じることさえあります。
 
しかし、その方々は皆、素晴らしい精神の深まりを見せられている。
 
苦難。それはもしかしたら福音なのかもしれない。
ふと、そう思えることがあります。
 
「同士よ。」
 
そうい言いながら200年前のベートーヴェンが温かく抱きしめてくれている。
彼の音楽からそのように感じることがあるのです。

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