「光と影」 支える人々
昨日の記事でも書きました画家の鴨居玲は、天才であるゆえに、戯れに自殺未遂を繰り返すというアンバランスな面を持ち合わせていました。
そばにいたら、さぞかしはた迷惑な人物であったのではないかと想像します。
彼の作品は、彼そのもの。
一つの作品を作り上げるたびに、一度死ななくてはならなかった。そして、もう一度生を受け新たな作品を制作するという、儀式ではなかったかと思います。
それほどその絵は、暗い画風とは正反対の、エネルギーにみなぎり真実に満ちている本物でした。
鴨居さんが気を許した友人は多くはありませんでした。そのうちの一人眼鏡店のオーナー、久利計一さんは鴨居さんを理解した数少ない友人の一人でもあり、その最後を見届けた人でもあります。
絵を買いたい人がいた場合も、言い方によっては鴨居さんは「絵は売らない」と言い出す人でした。本当は売りたくて仕方がなかったとしてもです。
それほどプライドと美意識の強い人だったのです。
久利さんは、絵を100万で買いたい場合に、「友人が先生の絵をどうしても譲って欲しいと。断りきれなくて」と鴨居さんにもちかけます。久利さんは期日までにすべて新札の一万円札を100枚苦心してそろえなくてはなりません。もし「もう少しお金を待ってもらえませんか」と言おうものなら「やっぱり絵は売れない」となってしまうのです。鴨居さんは久利さんが嘘をついているのをわかっていて、二人とも絶妙な間合いでやりとりしていたのです。
難しい人だったと思います。
しかし、天才にはなぜか「支える人」がつく。
純粋無垢な魂はその芸術に惚れ込み献身する人がいて初めて世の中に出るのだと考えます。
例えば、革命家として指名手配されたこともある作曲家ワーグナー。
ワーグナーに心酔していたバイエルン国王ルードヴィヒ2世は、よき理解者であり金銭的にも彼を援助していました。ピアニストとして作曲家として名声を得ていたリストは、彼を全面的にバックアップし、ワーグナーの作品をピアノ曲に編曲してまで世の中に広めた人です。リストの娘コジマも、ワーグナーを支援していた指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻でもあったのですが、皮肉にもビューローと離婚し、後にワーグナー夫人となるのです。 彼を生涯支え続け、ワーグナー亡きあとも彼の作品を上演するために建てられたバイロイト歌劇場の主として君臨し続けました。
ワーグナーには天才ゆえの毒があり、その音楽は一度理解するとその中毒性から抜けられなくなるほどです。さまざまな人が、ワーグナーに取りつかれ心酔したのは、当然ともいえましょう。
天才は、人間ののぞいてはいけないような深い闇や、常人の想像力を遙かに超えるような天国や、空前絶後の瞬間を見せてくれる力を持つのです。人間は、そういう見果てぬ夢を見てみたい、という本能があるのだと思います。
光が当たる面が強ければ強いほどその闇は暗く深い。
人間ももしかしたらそうなのかもしれません。
その才能が桁外れであればあるほど、ある面は弱いものを持つ。それが天才なのだとこの頃強く感じるようになりました。
だからこそ彼らを「支える人」が必要なのです。
亡くなったあとでさえ、世の中に潤いを与え続ける天才。
そのそばには、必ず支える人がいたはずです。
光の影で名もなき「支える人」がいる。
多くの残された人類の遺産から感動を受けるたびに、「支える人」たちへの感謝の念がわき上がってしかたがありません。
(2011年7月3日、7月17日の日本経済新聞記事「鴨居玲の分身たち」より一部参照させていただきました)