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ライフワークとしての学びを考えます。

個性的な音楽家を輩出するために

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今時、コンクール受賞歴のない一流ピアニストの方が珍しいくらいです。
 
一昔前ならば、フルトヴェングラーや、コルトーのような超個性的な大芸術家が第一線で活躍できた時代がありました。今、このような演奏家が出てくるのはなかなか難しいと考えます。
 
なぜか?
 
時代背景や業界の仕組み自体が変わってしまったことなどいろいろとありますが、大きな理由の一つに、今の音楽界がコンクールのブランドを重視するようになってしまった傾向があげられます。
 
コンクールで複数人の審査員から合格点をもらうには、全てに平均的な出来の良さが求められます。技術だけにおいて判断する場合、コルトーなどは第一次予選で落選してしまうでしょう。
 
また、一次予選からファイナルまで、バロック時代、古典時代、ロマン派、近代、現代、最後はオーケストラとのコンチェルト、さらにコンクールによっては、室内楽に至るまで膨大なレパートリーを演奏し、ありとあらゆるものに対応できるかどうか審査されます。いわゆる「何でも屋さん」が求められるというわけです。
 
実際、コンクールを一次予選から本選まで聴いてみると、モーツァルトやシューベルトでは、なんとも内面的でナイーブな他にはない個性的な才能を発揮しているのに、他の作品ではあまりパッとしないというピアニストもいて、そういうピアニストは大抵予選でいなくなってしまうことが多く、とても残念に思っています。
 
しかし、昔でいうと、巨匠がアクシデントで出演できなくなったときのピンチヒッターとして演奏し、彗星のようなデビューをかざった演奏家もたくさんいるわけですし、いざというとき「何でも弾ける」というのは、演奏家として第一線でやっていくには大事なスキルなのかもしれませんが・・・。
 
ただ単に、一人の聴衆としての気持ちを打ち明けますと、何でも無難に弾けますよ、というよりは、ある特定のものを深く聴かせてくれる演奏家が好きです。
例えば、グレン・グールドならば、やっぱりバッハが聴きたいというのはあります。彼自身はきっと興味がないと思いますが、聴き手はグールドのラフマニノフとかを求めるわけではないのですよね。
 
「この作品ならこの人」とか、「この人の超個性的な音楽を聴きたい」、と思えるような演奏家が、いわゆる20世紀半ばまでの「巨匠時代」のような演奏が、なかなか聴けないような時代になってきているような気がしています。
 
今後、スケールの大きい個性的な芸術家が出てくるかどうか。
 
それは、クラッシック音楽界の受け手側、クラッシックファンや、一般の聴衆、そしてエージェントが、本当に心から聴く耳を持つこと。
ここにかかっているのではないかと思っています。

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