欠点だらけのリーダーがなぜ素晴らしい仕事ができたのか
そのリーダーは、あまりきちんとしてなくて欠点だらけのように見える。
なのに、部下にはとても人気がある。それどころか、部下はその人のためなら命を賭してもよいとまで思うような仕事をする。
今日は指揮者のフルトヴェングラーについて書いてみたいと思います。
それでは世紀の指揮者フルトヴェングラーとはどのような人物だったのか。
文藝別冊「フルトヴェングラー」指揮者の朝比奈隆さんのインタビュー記事で、ベルリン・フィルの音楽監督であったフルトヴェングラーについて、その後の音楽監督カラヤンと比較した興味深いことを語られていました。
・・・・・(以下引用)・・・・・
ダブダブの右と左の長さが違うような上着を着てね、もじゃもじゃの頭で、帽子斜めにかぶって、こんなになって入ってくるフルトヴェングラーとね(中略)演奏会になるとフルトヴェングラー夫人と称する女性が三人来るなんているのは、よくあったらしい。でもそれはいいんですって。「(カラヤンと)同じじゃないか」って(ベルリン・フィルのメンバーに)言ったら、「違う。フルトヴェングラーはだな、とてもいい人だから。気が弱いから、女性が来ると断れないんだ」って・・・・(笑)。「だから可哀そうなんだ」と。なるほど物は言いようですな。
・・・・・(以上引用)・・・・・
技術的には、「振ると面食らう」とまでいわれた指揮だったにもかかわらず、フルトヴェングラーが立ったとたん音が変わり、ベルリン・フィルは歴史的な名演奏を次々と成し遂げたのです。
特に、ナチスドイツに協力したという理由で、2年半全く演奏が出来ないでいたフルトヴェングラーが、、1947年5月指揮台に再び戻ってきたときの、オーケストラの凄まじい演奏は今でも録音で聴くことができます。
では、なぜフルトヴェングラーはここまでの演奏ができたのか?いや、オーケストラに演奏させることができたのか?フルトヴェングラーの指揮棒は魔法の杖なのか?
フルトヴェングラーと親交のあった指揮者の近衛秀麿さんの言葉をお伝えします。
「長い一クサリ(お話し)をやることがある。そこに全く音楽に陶酔し切った人が立っている。あれで楽員はインスパイアされるんです。」
「心得以上に陶酔している。これは大事なことです。全員がそれほど勝れた奏者だった訳じゃない。しかしフルトヴェングラーの指揮だと自分の力以上の仕事をやる。それだけに信頼していたんですよ。」
「(信頼の)絆が全員と一対一で結ばれている。いわば百本の絆ですよ」
(以上「フルトヴェングラーと巨匠たち」より引用)
もちろん、単に信頼していればいい加減にしていても良いというわけではありません。
私は、フルトヴェングラーはどこか部下の可能性を心から信じているようなところがあるのだと思います。それは黙っていても伝わるし、部下である楽団員は感じる。
「この人のためなら一肌も二肌も脱いであげよう」「この人と燃えるような仕事がしたい」という思いがわきあがってくる。
フルトヴェングラーにはそれがあったのではないかと思えます。欠点までも長所になってしまうほどであったというわけですね。
そうなるともう、彼は音楽を持ってそこに立っているだけでよかったのです。
私はそこに人間の奥深さを見る思いがしています。