うるさい!電話をかけてあの電車を止めてくれ
オーケストラの練習で、チェリストの一人が弱音器を忘れてきたのを知った指揮者が、その場で「練習中止」にしてしまう。
弱音器を使う場所は曲全体のほんの一部なので、その箇所だけ忘れたチェリストにはずれてもらうなど他にもやり方はあったと思いますが、わざわざ集まった大勢のオーケストラメンバーも全員練習打ち切り。そこまでやるのか、とつい思ってしまいます。
小澤征爾さんの師で、桐朋学園の創立者でもある指揮者の齋藤秀雄さん(1902~1974年)は、大変厳しい指導でも知られていました。
齋藤先生は、練習中止にすることで「これが本番だったら絶対許されないことなのだ」ということを、オーケストラに教えようとしていたのではないでしょうか。
そしてこれは私の想像ですが、もしかしたらオーケストラ全体の緩い空気を察して、弱音器を忘れてきた人に手厳しく注意して練習自体を中止することで、組織に緊張感を与えようとしていたのかもしれません。
指揮者というのは、敏感に空気を察し全体をコントロールしなくてはならない。荒療治かもしれませんが、こういった厳しい制裁も、良い結果につながるのならば実行する決断も必要なのではないかと思います。
名門ベルリン・フィルに長く君臨し、帝王と言われた、ヘルベルト・フォン・カラヤン。
そのカラヤンが、1957年来日公演を行ったときのことを、指揮者の岩城宏之さんが「棒振りのカフェテラス」で書かれていました。
N響(NHK交響楽団)とベルリンフィルの日独合同演奏会が企画されたのですが、当時の東京は200人のをのせるステージがなかったため、千駄ヶ谷の体育館で行うことのになったのだそうです。
すぐそばにある中央線が通過するごとに電車の轟音でオーケストラの音が聴こえなくなってしまうという最悪の状況でした。
「うるさい!こんなにうるさくて練習ができるか。あの電車を止めてくれ。イワキ、電話をかけて止めさせろ」
カラヤンは、練習を中断して、アシスタント指揮者の岩城さんに向かって怒鳴りました。
電話番号もわからない岩城さんは、それでも
「電話機をとりあげ10円を入れ、めちゃくちゃの番号をまわし、どこの誰かさんが電話先に出た。わけの分からないことを丁寧に、しかも多少の命令口調でもってしゃべり、カラヤンはかなり離れたところからぼくを見ているのだし、日本語が分かるわけがないから、こっちのしゃべり方の態度が重要なのだった。(中略)『マエストロ。数分後に電車は止まるそうです。』」
カラヤンはニヤリと笑い、練習を続けたそうです。
岩城さんは「カラヤンは、轟音に楽員たちがイライラし始めたのに、先手を打ったに違いない。誰もがあきれるほどの非常識さで、全体をマンガチックな雰囲気にしてしまった」と書いています。
帝王といわれるほど、わがままな言動でも有名なカラヤンですが、カラヤンは、組織がどうしたら上手く動くか、空気を敏感に察してコントロールしていたのです。
指揮者というのは、音楽をするだけではありません。
全体がどうやったらベストな結果を出せるか。そのために、信じられないようなアイデアで手を打つこともある。天才といわれる人ほど常識を超越しているのですね。