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ブーニンのサラミ

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「ブーニンのサラミがあるのよ。食べる?」
 
師匠の家に行ったとき、ブーニンが作ったというサラミソーセージをご馳走になりました。ジャズピアニストの山下洋輔さんがブーニンからもらったのを少しおすそ分けしてもらったとか。しっかりとした味で、いかにもきちんとした正統派サラミでした。
 
ブーニンと言えば、ご存知の方も多いでしょう。
 
19歳という若さで、ポーランドのワルシャワで行われた第11回ショパンコンクールに優勝してしまった当時ソビエト出身のピアニスト、スタニスラフ・ブーニン。
 
今、ショパンコンクールでのブーニンの演奏を聴いてみて、ショックを受けました。すごい。そして理屈抜きに面白い。
 
よくもまあ、あんなやりたい放題のピアノが優勝したものだと思います。ブーニンを型にはめなかった先生のドレンスキー教授にも心から拍手を送りたい。
そして、最もアカデミックで権威あるコンクールの一つである、ショパンコンクールにおいて、あれほど挑戦的な演奏をしたブーニンの心情はいかばかりのものだったのか。
 
その5年前の第10回ショパンコンクールで、「エキセントリックすぎる」「あんなのはショパンではない」と評されて、予選落ち「させられた」旧ユーゴ出身の名ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチ。審査員だったマルタ・アルゲリッチが「あの子は天才よ!」と怒って途中で帰ってしまったあの事件。
その二の舞にならなかったのは、やはりブーニンのチャレンジ精神と気迫、それと、つい幸せの笑みがこぼれてしまうようなチャーミングな音楽性のおかげだったかもしれません。
 
ソ連という国で10代を過ごし、ロックなど刺激的な外の音楽にそれほど触れる機会もなかったでしょう。クラッシックが、ショパンが、ブーニンにとって自由な心を表現するためのロックであり、ジャズであったのかもしれない、と私は感じます。
どうしようもない飢えた心に、ショパンがダイレクトに響き、あのような演奏させたのではないかと想像します。
 
その後の、日本での「ブーニンシンドローム」と言われるマスコミも巻き込んでの大騒ぎは、今でも語り草となっています。
 
ピアニストの宮沢明子さんが、あるエッセイで「ブーニンは日本に来てはダメよ」と書いているのを読んだことがあります。「チヤホヤされて芸術家は育たない」と。
 
しかし今、ブーニンは日本人と結婚し、日本に住まいをかまえています。
「日本にいるのが幸せ」というブーニン。
それもまた、一人のピアニストにとって、素晴らしい人生なのかもしれませんね。
 
それでは、本日は、若かりしブーニンのショパンコンクールでの演奏を聴いてみることにしましょうか。
ひげをたくわえて、とても19歳とは思えない風貌。1曲目のワルツ ヘ長調 作品34 第3、通称「子猫のワルツ」はメチャクチャな超高速で、スケールが大きく、まるで「チーターのワルツ」みたいです。コンクールなのに異例の拍手と花束贈呈は、ポーランド聴衆がいかにブーニンに夢中になってしまったかがよく分かります。皆さんもぜひ聴いてみてください。

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