「さあ、うちの可愛いミーシャの出番よ」 教育ママたちの神通力と悲劇
未来の巨匠に仲間入りしようという境地にある、ロシアのピアニスト、エフゲーニ・キーシン(1971年~)。
わずか2歳でピアノを始め、コンクールの入賞暦なしに10代で神童としてデビューした彼の初来日は1986年。その頃はどこに行くにでも、現在まで師事しているアンナ・パヴロフナ=カントル女史とお母さんが常につきっきりだったそうです。
現在キーシンも40代。さすがに最近はそんなことはないと思いますが、ピアニストが一人前に育つ過程において、先生と母親(たまに父親の場合もあり)の果たす役割は大きいのです。天才少年少女を育てるにあたっての、ステージママと先生のタッグは最強といえましょう。
どんなに音楽の才能があったとしても、3歳~小学生くらいの男子で毎日長時間ピアノの前に座ることができる子は、私の経験上非常に少ないと思います。そのスタート地点ですでに選ばれている子たちが、さらに熾烈な競争の中で勝ち残っていくわけです。
そこには先生と母親の努力、いや、”神通力”とでもいうべき力の存在なくしては成し遂げられない何かがあるのではないかと感じています。
「将来何が何でもこの子をピアニストにする。」そういう強い思いと覚悟がなければ、2歳の子をピアノの前に座らせるのは並大抵のことではありません。
私の知り合いのお母さんは産院で出産したとたん、生まれたての赤ちゃんを抱き上げて「ぜったいにピアニストにしてみせるわ!」と叫んだそうです(もちろん今は立派なピアニストです)。そこには、父親が口をだす隙もないほどの固い決意があったということでした。
また、現在ピアニストとしてまた作曲家として活躍中の50代男性ピアニストは、今でもコンサートでお母さんがつきそっています。あるとき彼の荷物を抱えたお母さんから「楽屋はどこですか?」と聞かれたことがあり、お母さんに心から「こちらです。どうもおつかれさまです」と申し上げました。
中村紘子さん著「チャイコフスキーコンクール」において興味深いことが書いてあります。
・・・・・(以下引用)・・・・・
(チャイコフスキーコンクールの聴衆たち)その中でも圧倒的にエネルギッシュで独特の熱気を醸成するのが教育ママに変身したピアニストだちだ。教育ママたちというのは休憩時間になるやいなや競い合うように近寄って、せいいっぱいのご挨拶をしたりするいっぽう、同国人であるソ連代表のコンテスタントたちに対する、ナイフのように鋭く手厳しくアグレッシヴな批判のさえずりを聞こえよがしに展開したりするので、すぐピンとくる。友人であるドレンスキーの言葉を借りるなら「ここに集まっているママたちは全員『さあ、四年後の次のコンクールはうちの可愛いミーシャの出番よ』という熱い思いをこめて舞台を見つめているから、そのせいでホール中が暑いのさ」ということになる。
お母さんとカントール先生に付き添われて頻繁にコンクールを聴きにきていた天才少年キーシン君の存在などは目にも入らない。どうやらこれら「天才児ミーシャのママ」達にとっては、キーシンなど騒ぐにも値しないものであるかのようで、おかしいほど黙殺されている。
・・・・・(以上引用)・・・・・
世界中どこでも親は「自分の子どもこそ世界一」と信じてやまないようです。
ピアノは、まだまだ自分がどうしたらいいのか判断能力のない年齢から始めないとならないため、どうしても親の思いというものが強く反映されてしまうのです。もしそれほど才能がなかったとしても、その神通力が本当に実際ある程度のレベルまで子どもを押し上げてしまうことが多々あります。
しかし大変なのはもっとその先です。悲劇は後から訪れることもあります。難しいことかもしれませんが、子どもを冷静に見つめることも先生や親に求められることではないでしょうか。