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ライフワークとしての学びを考えます。

才能を引き出す仕事の相手とは

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「この二人、どう見ても合いそうにない。」
一見そう思えるけれども、本人同士はひどく気が合ってすごくいい仕事をする場合があります。
 
女流ピアニストのマルタ・アルゲリッチは、パートナーを選ぶタイプ。ピアノコンチェルトのときの指揮者がとんでもなく大物でも、また旦那(元夫の一人シャルル・デュトワ)であろうとも、気に食わなければコンサートをキャンセルしてサッサと帰ってしまうなんてことも朝飯前なのです。
 
岩城宏之さん(1932~2006年)は著書「棒ふりのカフェテラス」に書いている通り、アルゲリッチと数多くの共演をし、イキの合った指揮者でした。

岩城さんが、彗星のようにデビューして間もないアルゲリッチとの初共演が決まったときのこと。
「勿論ピアノが上手いに決まっているが、個性も強烈に違いないのだ。まして女。美人である。最初の練習でガーンと一発お見舞いして、なんて思う。言葉では言えない音楽家同士の戦いがあって、特に指揮者と独奏者の場合、その最初の一発でコンチェルトの主導権が決まってしまう。」
 
しかし、練習会場にピアノの巨匠ルービンシュタインがこっそり見にきていたことを知ったアルゲリッチは、あがりきってメチャクチャになってしまいます。岩城さんもルービンシュタインという神様の前で対抗する余裕などなく、演奏だけに必死になる。
ルービンシュタインのおかげで、二人は最初の出会いから不思議なほどのウマの合い方になった、と言います。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
(演奏会の前一つの楽屋を二人で使うことに。)美しい黒髪の先のひとつまみを、いつもの癖で口にくわえ、左の指先には煙がユラユラのシガレットをはさみ、右手はこれから演奏する曲の楽譜をパラパラめくっている。そこまではいい。部屋の窓際に靴の片一方が、反対の大きな電気スタンドの下にはもう一つが、投げとばされた感じで転がっている。脱ぎすてたさっきまでのヒッピー風ワンピースは壁のところのソファの上にほうり出されている。(中略)
ズタ袋が置いてあってサインをしながらマルタは何かを取り出した。ふたをしめないのだ。見るつもりは毛頭ないのだが自然に中が見えてしまった。たまげた。タンパックスの箱が丸見えだ。しかも少し開いている。机の周りには、たくさんのポルトガルのお客がサインを待って立っている。「マルタ!」小声で注意する。しまったという顔つきでズタ袋をしめる。ちょっとたつとまた何かを取り出し、またしめ忘れている。こちらも忙しくサインしながら気が気ではない。指揮者というのはこんな世話までするものかとハラもたつのだが、これほど自然な無頓着は芸術だということもできるような気がする。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・

孤独に耐えられなくて、今ではほとんどソロを弾くことはありませんが、波長の合う共演者がいると、とたんに生き生きと音楽を奏でるアルゲリッチ。
天才的な音楽家というのは、どこかアンバランスなところがあるもので、パートナーはさぞかし振り回されるであろうと思います。しかし、彼女から受けるエネルギーは素晴らしく、刺激的で、許せてしまうのでしょうね。
 
今日は小澤征爾さんの指揮でベートーヴェンのピアノコンチェルト第1番3楽章(途中まで)を聴いてみることにいたしましょう。
天才性全開で自由奔放に演奏するアルゲリッチの指を見ながら、小澤さんのぴったりつけた丁寧な指揮。リハーサルや舞台裏で何があったか想像しながら聴くのもまた楽しいものです。

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