叱るときこそ実力が分かる
彼女はついにホールの外で泣き出してしまいました。
厳しいレッスンに耐えてきて、やっとたどりついた演奏会の日。しかし、途中で暗譜が分からなくなり数回止まってしまったのです。
ピアノは、コンクールや受験では暗譜が義務づけられていて、止まらずに最後まで弾きとおせるかどうかというのは大きな採点ポイントとなります。どんなに素晴らしい才能にあふれていても、止まってしまうことは失敗となってしまうのです。
演奏後、聴きに来ていた彼女の先生からお叱りを受けているのがそばにいて聞こえました。
先生も一生懸命教えていらしたことを聞いていました。期待していたのでしょう。もどかしくも腹ただしい気持ちが感情的にさせてしまっていることが分かりました。
しかし、音楽である程度のレベルまで到達するような人はセンシティヴな人が多く、自分が失敗したことのショックをだれよりも一番感じています。常に自分を強く責めているのです。
私は、「今回の失敗は1回目の本番なんだから仕方ない、あれほど怒るのならば、先生はこの日の前に何回も小さな本番を経験させるべきだ」と思いました。
彼女は先生が立ち去ったあと、今までの想いがこみあげてきたのでしょう。泣き出してしまいました。そして、それ以来舞台に立つことはなくなってしまったのです。
ただ、それくらいなんとも思わない鈍感さとタフさと繊細さを持ち合わせなければ、一流の演奏家としてやっていけない、といわれればそれまでですが、先生の一喝でやめさせてしまうこともできるのだと、そのとき感じました。
音大の先輩でもあるバイオリンの先生は、優秀な生徒を多く輩出していました。
彼女の生徒が何人も出演する演奏会に立ち会ったことがあります。
生徒が弾いている様を阿修羅のような表情で見つめていて、終わると親よりも早く生徒のところにかけつけます。そのときは阿修羅のような表情は消えうせて、しかし真剣に言い含めるように、まずは「よく頑張って最後まで弾いた」と言い、シンプルに短く、「良かったことと良くなかったこと」「次はどうすればいいのか」そして「今日演奏したことが次につながるためのいかに重要な舞台であったか」ということを冷静に話していました。
そこには感情はほとんど感じられませんでした。
レッスンというのは一対一で行うもので、どうしても先生と生徒の絆が濃くなってしまいます。そのとき先生のほうが入れ込みすぎてはあまり良い結果が得られないような気がしています。
先生はある程度は冷静にみつめられる距離感を置いたほうが良いと私は考えます。
それは、割り切りではありません。
言うならば「腹決め」。
失敗しても成功しても、受け入れる覚悟とでもいうべきものだと思っています。