指揮者は本当にモテるのか?
ある指揮者と話しているときのこと。
「なぜ指揮者の道を選ばれたのですか?」
「テレビで指揮者を見たらかっこよかった。モテそうだと思ったから。」
と真顔でのお返事には、のけぞってしまいました。
それで、実際指揮者になってモテたのかどうかは聞きませんでしたが、一度、都内の感度の鋭い人が集まるカフェで打ち合わせをしたとき、長身の彼が入ってきたとたん周囲の女性は顔を上げて一斉に注目したことがありました。
立っているだけで漂う何か・・・もしかしたらそんなものを感じたからかもしれません。
さらに、世界的に活躍するような指揮者ともなれば、その振る舞いや言葉の力で大勢の人を一瞬でひきつける魅力、強靭な統率力、宗教者のような指導力、という一種の「カリスマ性」が必需品ではないかと思います。
カリスマの語源は「神より授かりしもの」。
これだけは修行や勉強だけでは身につくものではなく、生まれもったものだと思います。
ベルリン・フィルの帝王であった指揮者カラヤンは、本当にモテたといわれています。
2回の離婚を経て、美貌のモデル、エリエッテ夫人との結婚。
ただ、人気が出てからのジェット機で移動するような超多忙な仕事ぶりから、遊ぶ暇はなかったと思います。私の推測ですが。クラッシックを一般に広めた、カラヤンの偉大な仕事の遺産は尊敬に値すると思っています。
モテようとして指揮者になったわけではなく、そういう素質のある人が、努力を重ね、激しい競争に打ち勝って、その結果指揮者になったというわけですね。
近頃は、カリスマというより「ナチュラル・リーダー」という言葉を聞きます。
幼い頃からいつも集団の中心になっていたような人。
昨年末、ある外資系大企業の忘年会で約60人の部下を率いる女性リーダーに会いましたが、彼女はまさにそんな人だったと思います。
ただ、リーダーだからといって、威張ることは全くなく、社員の皆さんに大変気を遣っているのが感じられました。
近頃の、世界的有名指揮者も、支配的というよりは、オーケストラに気をつかい、丁寧語を駆使する腰の低い方が増えています。
カリスマ=支配者というニュアンスを感じさせてしまいますが、ナチュラル・リーダーは今のリーダーを象徴するような言葉だと思いました。
今後は、こういうタイプのリーダーが時代を切り開いていくのだという予感がしています。