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ライフワークとしての学びを考えます。

埋もれている人材を見逃してはいないか?

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サッカーのマラドーナは、身長166cmで左足でしかボールを蹴ることができませんでした。
しかし、「左足だけで世界一にする」と言って、彼の能力を伸ばした指導者とめぐり合ったからこそ、最後まで右足を使わずにワールドカップで優勝したのです。
普通なら、「サッカー選手としてはダメだ」と言われて終わっていたことでしょう。

イチロー選手でさえ、仰木監督がいなかったら、あの振り子打法はなかったかもしれません。
 
教育とは徹底的に枠にはめていくことです。
 
例えば、音楽大学というものがあります。
それまでは特別な人だけのものであったクラッシック音楽を一般の人でも学ぶことができる。これは大事なことです。
 
しかし、音楽学校を出ていないフルトヴェングラー、音楽学校を追放されてしまったクナッパーツブッシュ。現代のコンクールを受けたら落選間違いなしのコルトー。そんな音楽家が超一流になれた時代がかつてありました。
 
素質のある人は秀でたものがあり、しかしアンバランスである、と私は思います。
 
指導者はそれを見極めなくてはならない。
見極める力を持たなければいけないのです。
方法はだれも教えてはくれません。
 
私が何年もお仕事を一緒にしてきた指揮者のY先生は常にこう言っていました。
 
「人間として最高の行いは人を育てることだ」
 
育てることは与えることです。
育てた人材が有名になることで自分が何かを得ようとすることではないと思います。
 
見極める、そして与える。
 
指導者とは、この連続なのです。

本当に素晴らしい人材とはを見逃していないか。いつも感性を研ぎ澄ましていなくてはならないと思います。

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