ソフトウェア開発に関する翻訳記事で物足りないこと
ソフトウェア開発に関する翻訳記事(Webの記事)を見て「なんとなく違うなぁ」と思うことはないだろうか?私はたまにある。そのときに追加してあるといいのになぁと思うことがある。それは、その国の事情やその国での一般的な開発プロジェクト事情の情報で、日本と異なる部分の追記(前提の説明)だ。その前提を翻訳者の方が補足している記事をあまり見たことがない。当たり前だが、元記事はその国での事情や一般的な開発プロジェクトの事情を前提に書いてあることがほとんどだろう。
海外と日本とではソフトウェア開発の事情が異なることが多く、前提としてそれらを記述していれば読者にとって強力なガイドとなると思う。逆にそのような記述がなければ物足りないものになってしまうのではないだろうか。私がきちんと読めてないだけかもしれないが、前提が具体的に書いてあることはほとんどないように思う。前提の記述はここ(本ブログの過去のエントリ)で書いた「コンテキスト」の話と同類だ。
たとえば、世の中にまだ存在せず機能の魅力でその価値が決まり、開発のスコープを開発側が比較的自由に変更できるタイプのソフトウェアと、ある業務システムのサブシステムとして稼動することが決定していてその部分を受託開発するタイプのソフトウェアでは事情が異なる。前者は要求自体はっきりしていないことが多く、いったん動く状態になったプログラムに対する感想、コメントをフィードバックしながら洗練していくイテレーティブな開発スタイルが馴染む場合が多いし、後者はそのようなやり方が必ずしも効率的とはいえない場合がある。そのような前提を書いた上で翻訳がされているものが少ないように思う。
前提や事情の違いを書いてある記事には「(訳注: 欧州ではこのやり方が一般的)」とか「(訳注: 北米では法律により禁止されている)」のような記述がある。これをソフトウェア開発の記事でもいれてもらえたら、と思う。ソフトウェア開発の裾野が広がっているため、プロジェクトの事情もかなり広範囲なものになっているだろう。ある記事を読んだとき「これは自分のプロジェクトにもあてはまるのだろうか?もしあてはまらないとしたら、どのような条件が満たされればあてはまるようになるのだろう」と考えることは重要になってきているはずだ。
そうなれば翻訳記事をよりいっそう楽しめると私は思うのだが、いかがだろうか?