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選択制夫婦別姓についての考察

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すっかり放置状態になっていますが、たまには何か書かないと、と思い立ち、少し話題になった「選択制夫婦別姓」について考えてみます。なお、私自身は選択制夫婦別姓に対して"消極的賛成派"であることをあらかじめお断りしておきます。

一義的には、反対派よりも賛成派が多いかどうかという話で、賛成派が多いなら導入すればいい、というのが民主主義的な判断です。ただ、この議論において、賛成派が「別姓を選べる利点」を語っているのに、反対の意見として「同姓であるべき」理由が語られることが気になっています。「そんなに同姓に縛られるのがイヤなら結婚という制度もやめちまえ」とか、ちょっと極論が過ぎます。世のシステム改修にかかる費用などはさておき(それを言ったら軽減税率の方が......)、あくまで"選択制"であって別姓を強制しようというわけではないのですから、同姓によって家族の絆が守られると考える人は同姓を選べばよいだけ、というのは強力な賛成理由です。しかし、ここでは反対する理由を考えてみます。

■選択肢があることが常に良いとは限らない

中学高校と、普通に制服(学ラン)が決まりでした。とくに中学のときは村外に出るときも制服、という決まりがありましたが、そのおかげで、日々、どんな服を着て行こうとか悩まずに済んだのを覚えています。選択肢が与えられるということは"決まりなんだからしかたない"という(日本人好みの)言い訳を取り去ってしまうということです。

服装くらいならたいした問題ではないかもしれませんが、「安楽死」はどうでしょう。私は安楽死に対しては消極的反対派です。それは個人の意思だけが尊重されるとは言えなくなる状況を恐れているためです。本人の意思が確認されたとしても、それがまわりに気兼ねした選択でない、と言い切れるでしょうか。あるいは、安楽死が法的な選択肢として認められた場合、「なぜ安楽死を選ばないのか」と周囲がほのめかしたり圧力をかけたりするおそれはないと言えるでしょうか。議論されている安楽死は、医師の診断などそうした可能性を排除するものだと思ってはいますが(だから"消極的"ではあるのですが)、現状では反対の立場をとっています。

選択制にしてしたせいで状況が悪化しているのが予防接種です。90年代にワクチン接種の副作用で死亡者が発生し、裁判で国の責任が問われる事態となったため、予防接種法が改正(というより改悪)され、強制義務から選択式(努力義務)に変更されました。ときどき、妊婦が風疹にかかって子供に影響があったという報道がありますが、日本はワクチン後進国と言われています。しかし、接種しないリスクが接種するリスクより高くても、前者では責任を問われず、後者で責任を問われることになるなら行政として後者を選択するのは当然で、もう、どうしようもありません。

■選択制夫婦別姓には何のデメリットもないのか

話を夫婦別姓に戻します。選択できるようになれば、「別姓にしたいので別姓を選んだ」「同姓にしたいので同姓を選んだ」だけでなく、「同姓にしたいのに別姓を選ぶことになった」「別姓にできるのに同姓を選んだ」という状況が生じる可能性もあります。私が消極的ながらも賛成しているのは、それでもなお別姓を選択できるメリットがデメリットを上回るだろうと想像しているからにすぎません。

選択肢が与えられていなければ「選べなかった」だけですが、選択肢があれば「選べるのに選べなかった」状況が生じうるものです。「選択制だからデメリットなどない」という主張には疑問を感じてしまうのです。

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