IT業界のコメントマニアが始めるブログ。いつまで続くのか?

個人を主体にすることで法規制を逃れさせるビジネス

»

少し下世話な事例ですが、かつて「夕ぐれ族」という組織がありました。ある程度の年齢以上の人はご記憶の方も多いと思いますが、いわゆる「愛人バンク」です。売春防止法で売春が規制されているとはいえ、個人レベルでのやりとりまでは取り締まられておらず、罰則もありません(昨今の18歳未満の児童に対する援助交際(買春)は別の問題です)。規制の対象となっているのは売春の斡旋や組織売春です。

「夕ぐれ族」以前に、個人レベルで愛人を募集する人が紹介されたこともありました。そして、「夕ぐれ族」も個人レベルの関係づくりを支援しているだけで、売春を斡旋する組織ではない、という大義名分で営業されていました。実際、しばらくの間は取り締まられませんでした。しかし、2年ほど後に社長は売春斡旋の容疑で逮捕され、実刑判決を受けました。

もうひとつ著作権に関する事例としてクラブキャッツアイ事件に由来する「カラオケ法理」があります。個人の行為としては合法(可罰性がない)なものを組織が行うことで、組織を主体として著作権侵害を認めた最高裁判決に由来するものです。今では「カラオケ法理なんてものは日本独自のおかしな仕組み」なんていう人もあまりいないと思いますが、個人レベルで問題とされない行為でも組織的にそれを支援すると違法とみなされます。

ちなみにアメリカにも同様の仕組み(代位責任など)はあります。そもそも借りたCDをリッピングして返す、リッピングしたCDを転売する、という日本で当然のように行われている行為は、フェアユースのあるアメリカでも「フェア」な範囲とはみなされていません。個人の行為として可罰性があるとまでは言わなくても、組織的にこれを支援することは違法とされる可能性が高くなります。RealNetworks がリリースした RealDVD という DVD リッピングソフトは、リッピングされたファイルには再複製できないよう DRM が掛けられていたにもかかわらず"著作権侵害"で完敗しました。

これらは個人レベルでは合法な、あるいは可罰性が認められない行為であっても、組織的に支援することで違法と認定されたものです。

さて、ここからが本題です。最近「民泊」が話題です。飛ぶ鳥を落とす勢いの Airbnb ですが、旅館業法を守らなければ業務として宿泊施設を貸すことはできないものを個人どうしのやり取りということで取り締まりを逃れているケースがほとんどのようです(取り締まられているケースもあるようです)。実際、民泊として提供されている部屋や家の近隣とトラブルになっているという報道もしばしばあります。

もうひとつ、タクシー業界の脅威とされているのが Uber です。もともとタクシーは、無節操に規制緩和を推し進めた小泉純一郎元首相と竹中平蔵によって自由化されました。自由化というのは競争が生じる業界でこそ意味があるものですが、そのお題目をタクシー業界に当てはめて大混乱を招いたのは記憶に新しいところです。最近になってようやく台数規制などを復活させましたが、そこにやってきたのが Uber です。日本では国土交通省から指導が入って、一般ドライバーによるサービスは禁じられているようですが、これも基本的には個人レベルの行為を支援することで、組織としての規制を逃れようとしたものです。

ときどき、Airbnb や Uber を規制を打ち破る仕組みとしてもてはやす声を聞きますし、既得権打破という掛け声でこうした仕組みを批判し、日本の状況を憂う意見もあります。しかし、規制はすべてが無駄なものではありません。むしろ、ほとんどの規制は、何らかの障害があり、それを避けるために生まれてきたものです。それをすべて無視させてよいでしょうか。規制を緩和するなら、もともとある業界への規制も合わせて緩和してやるべきでしょう。そうすれば、近隣住民は迷惑を被り、業界は打撃を受けて、社会的な損失は避けられないでしょう。

「個人のやることだから」何でもやっていいのであれば、料理のマッチングサービスなんてどうでしょう。本来、営利を目的とした料理の提供には食品衛生責任者の資格が必要だったり、専用の調理場が必要です。でも、「個人でやることだから」そういう条件を無視できるのなら、あなたの子どものためにキャラ弁作りますとか、パーティー向けのケーキ作りを引き受けます、といったマッチングビジネスができそうです。たとえ食中毒が起きても運営側は「あくまで個人どうしのやりとり」といって無視できそうですが、果たしてそれが望ましい社会でしょうか。(なお、本当にやると保健所から叱られると思います。念のため)

規制を守っている業界が、規制を逃れさせるビジネスによって衰退することは望ましいことでしょうか。"既得権を打ち破れ"というのは政治家が好んで使いそうなフレーズですし、人々はこういうときの"既得権"を自分が持っていない権利しか想定しないので、深く考えることなく推進しそうです。しかし、やみくもに規制緩和を言うのではなく、それぞれの規制の役割や規制緩和の功罪というものを、もっと考えてほしいものです。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する