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理想的な未来におけるベーシックインカム

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昨日のエントリは、自由競争を前提にすると、社会の広がりに応じて貧富の差が広がっていくというものでした。一方、映画や漫画などでは、遠い未来の話として、単純労働はすべてロボットがこなし、人々があくせく働く必要がなく、ほんとうにしたい仕事だけをするといった姿が“理想的な未来”のように描かれることがあります。

もちろん、それはフィクションですが、製造業界ではロボットを使うのが当たり前で、回転寿司ではロボットが寿司を握る時代です。このところの不景気の理由は、たんに“労働の需要”が減りつつあるためかもしれません(←特に検証はしていません)。ロボットが人の仕事を肩代わりしているからといって、人が「したい仕事だけをする」わけにはいきません。仕事の“需給”に均衡がとれなければ、仕事にあぶれる人が出てきますし、仕事がないということは収入がないのですから、“あくせく働かなくても生活できる”という社会とはほど遠いものです。「働き口が不足する社会」で、人々が安心して暮らすにはどうすればよいでしょうか。

Comics42_lo■ベーシックインカム

今の社会でも、仕事がない人のためには失業保険や生活保護といった制度があります。しかし、失業保険は一時的なものですし、生活保護はそれがなければ生きていくことがままならない人にだけ支給されるものです。たとえば、自宅や車などの“資産”を所有している人には支給されません。そこで考えられるのが「ベーシックインカム」という制度です。

例によって細かいことは wikipedia の項目に任せますが、最低限の生存権を保証するために個別に支払われる生活保護と違って、すべての国民に一律で給付するのがベーシックインカムです。そのためにかかる費用は莫大ですが、生活保護や失業保険のように「収入の不足する人」を個別に判断する必要がなくなるので、行政コストは削減できます。色々と問題を引き起こしている年金制度も組み入れて統合できます。

ときどき「最低賃金で働くより生活保護の方が儲かる」といって生活保護制度が批判されることもありますが、ベーシックインカムの場合は働いているかどうかに関わらず支給されるので、「働くのをやめて生活保護を受けよう」ということにはなりません。もちろん、「無理して働き口を探す必要はない」と思って働かない人も出てくるでしょうが、誰かがやらなければならない仕事があるなら、別の人が働くことになるでしょう(そのためには、単純労働でさえ高給であることが求められ、それは社会的なコストに反映されることになり、結果としてベーシックインカムに必要な費用もさらに高くなるだろうということは脇に置いておきます)。

その意味では、国民全員が同じ給料をもらうといった社会主義的な制度とは異なり、ベーシックインカムは資本主義(自由主義)の原則を崩していません。労働に対する対価は、その能力に応じて支払われ続けることになります。

■予算と現実

ベーシックインカムを現実的に考えると、まず予算的な厳しさに直面します。今でも200万人ほどの生活保護には3兆円ほどの費用がかかっているそうですが、全国民に広げると約60倍として180兆円もの費用がかかることになります。国の税収は年40兆円程度ですから、数倍というレベルの増税が必要だということです。色々な面で問題が生じるであろうことは想像に難くありません。

ベーシックインカムの導入をマニフェストに盛り込んでいる政党もあるようですが、私はベーシックインカムの導入には賛成しませんし、そうした政党を支持しません。しかし、社会が広がり、労働の必要性が減った社会は、そのままにしておくと貧富の格差が広がり過ぎる懸念はあります。増税というと、市民感情を無視だの何だのと批判されることも多いのですが、こうした社会において自由競争という枠組みを維持しつつ人々の生活を維持し続けるためには、増税の方向に向かうとしてもやむをえないように思います。

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