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ユニバーサルサービスとしてのテレビ放送

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テレビ番組の海外転送サービス差し止め命じる NHK、民放の訴え認める 知財高裁」(産経新聞)などで報道されているとおり、知財高裁の判決が最高裁で差し戻されていた「まねきTV」と「ロクラク」に関する裁判で、テレビ局側の逆転勝訴が確定し、賠償命令が出されました。そこで、少し裁判を離れてテレビの未来について考えてみます。

Comics11_lo ■ユニバーサルサービスとしてのテレビ放送

アメリカでは(少なくとも国内の)プレースシフトは問題にならないでしょう。元々、ABC、NBC、CBSという3大ネットワーク(またはFOXを加えた4大ネットワーク)は全国で視聴できるネットワークがあるので、国内でのプレースシフト視聴には時差を乗り越えるという以外に、あまり意味はないからです。他にも The CW や PBS(公共放送局)といった小規模なものはあるようですが、主要な放送局はすべて民放、つまりコマーシャルベースで成り立っています。

一方、日本は全国津々浦々にテレビ放送を届けるという公共性を、受益者負担という形で受信料を強制して NHK に託してしまいました。ユニバーサルサービスとして全国に放送するという責任を民放テレビ局に負わせることはしなかったのです。ユニバーサルサービスとは、社会全体で誰もが等しく受益できる公共的なサービスのことです。域内の電話料金や普通郵便の料金が全国一律で安いのは、これらがユニバーサルサービスとして提供されるべきものだからです。もし、民放テレビ局にユニバーサルサービスとしてのテレビ放送を義務付けていたら状況は変わっていたでしょう。

本来、民間企業は収益性が高い、平たく言えば“美味しいところ”を取りにいくものです。しかし、これはユニバーサルサービスとは相反するものです。ヤマト運輸が郵便事業に参入する際、多数のポストを設置することが義務付けられました。これは、美味しいところ(都市部)だけを取られてしまうと、地方のコストのかかる部分の負担だけが残されてユニバーサルサービスの運営に支障をきたすためです。逆に、ユニバーサルサービスを義務付けるということは収益性の悪いこともやらせるということです。

日本の民放にはユニバーサルサービスの義務は課せられませんでした。ユニバーサルサービスとしてのテレビ放送は、すでに NHK が請け負っていましたし、テレビ受像機が多くない時代に、広告収益を前提とする民放に全国への視聴の責任まで負わせようとすると参入が阻害されると思われたのでしょう。今でも電波障害などで「テレビが映らない」状況があると、NHK は親切に対処してくれるという話を聞いたことがあります。しかし、民放にはユニバーサルサービスを課さなかったのですから、収益性の高い都市部に多く集まり、地方は少なくなったのです。これは、行政の判断がもたらした当然の結果です。

■NHK は必要か

受信料で成り立っているテレビ局としてはイギリスの BBC がよく知られています。そして、イギリスでは BBC こそがテレビの中心であり、民放テレビ局は ITV くらいしかありません。単純に考えても、受信料という安定的な収入がある放送局に対し、コマーシャルベースの放送局が“同じ土俵”で戦わせたら、前者の方が圧倒的に有利なことは言うまでもありません。その意味では、日本の民放がユニバーサルサービスの義務を課せられなかったのは、都市部にとっては幸いなことだったと言えます。収益性の悪い部分に投資することなく効率を求めて多くのテレビ局ができたからです。

さて、公共放送としての NHK は本当に必要なのでしょうか。都市部と同じテレビ放送を地方にまで伝えるべきだということであれば、その仕組みだけを受信料を使って整備すればよい話であり、チャンネルを持って番組を作る必要はないはずです。民放にとっては、巨大な受信料収入を持つ NHK との視聴率競争を余儀なくされていますが、NHK がなければ「民放どうしの公平な戦い」ができるはずです。オリンピックやワールドカップの高額な放送権料は NHK は支払いやすいかもしれませんが、NHK がいなければ民放間の競争ですみ、受信料は不要になります。IOC も交渉が決裂するほどの放送権料を要求することはないでしょう。実際、アメリカのテレビ局はそうしています。そして、本当に国民のために公的な番組が必要なのであれば、それは税金を投じて作り、民放の枠で放送するかネットで配信すればよいことです。

■ユニバーサルサービスを課すには

円高で輸出産業が打撃を受けていると言われますが、影響が大きいのは急激に状況が変わることです。ビジネスにおいて急速に条件が変化することは、それに追従することが難しくなります。しばしば「時代に合わない規則など一気に変えてしまえ」という乱暴な意見も聞かれますが、それは現実的ではありません。テレビ放送でも、いままでユニバーサルサービスの義務はないという条件で運営していたのに、急に義務を課すということになれば、運営を継続する前提条件が変わります。もちろん、これまで通りに運営を続けられなくなるものはありますが、仕組みを変化させるのであれば、時間をかけて段階的に切り換えていくべきです。

まず、考えられることは NHK の廃止です。ユニバーサルサービス維持のための受信料は残すとしても、それはテレビ放送を全国に伝えるための設備投資に使うべきであり、番組供給、つまりチャンネルとしての NHK は廃止します。受信料ベースで作られる番組と視聴率競争させることはフェアではありません。NHK の廃止とともに、キー局(残る意思がある局)が放送地域を拡大するという条件を課せばよいでしょう。

また、地方テレビ局は淘汰される覚悟が必要です。ユニバーサルサービスの例外を認めて、地方だけのテレビ局として残れるようにすると(東京のキー局ですら)地方局として残りたいと考えるでしょう。東京キー局を中心として全国をカバーできる放送局だけが残れるようにします。ローカル番組(ローカルなコマーシャル)は、キー局の放送の合間に流すようにすればよいでしょう。

実のところ、そんな手間をかけなくても、衛星放送によって主要局のBSチャンネルは全国で受信できます(NHK受信契約数データによれば、約4割の世帯が衛星放送契約を結んでいます)。しかし、地上波と同じ内容を放送しているわけでもなく、「ユニバーサルサービスを提供せよ」という主張する人も衛星放送の存在については考慮していないようです。民放地上波にユニバーサルサービスを課すのであれば、NHK の廃止は必須です。そうしないと、イギリスのように公共放送がテレビの主役になってしまい、民放は運営が厳しくなってしまうためです(NHK を残すだけでよいなら、現状とあまり変わりがないことになります)。

■音楽利用の包括許諾

国内のユニバーサルサービスが整備できたとしても、「まねきTV」と「ロクラク」が行っていた海外への番組送信には課題が残ります。大きな問題のひとつが音楽利用の包括契約です。以前のエントリにも書いた通り、音楽利用の包括契約は放送にしか適用されません。しかも、ドラマの BGM として商用楽曲を使うということは、海外ではシンクロ権といって別途契約を必要とするようなものです。実際、テレビドラマの BGM に映画音楽を使っていた場合でも、DVD のような商品化の際には(シンクロ権契約は非常に高額なので)音楽を変更するといった処理がなされています。日本のテレビで音楽利用の包括許諾が緩く解釈されているとして、それが海外に向けて配信するとなれば、ふたたび海外から批判が起きるのは必至でしょう。

そこで必要なことは、音楽の包括許諾をネット配信にまで広げるのではなく、テレビ放送でも包括許諾をやめてしまうということです。テレビ局は番組作りのために独自の楽曲を用意しなければならなくなりますが、そうすることでテレビ局はネット配信やコンテンツ販売の際に、音楽の許諾を取り直す必要がなくなります。もともとアメリカのテレビ局はそうしていますし、それによって新たな許諾を得ることなくコンテンツ販売やネット配信ができているのです。

■その他の制限

日本のテレビ放送を、そのまま海外へ送信しようとすると、映画や海外ニュースなど放送権を購入するようなコンテンツの調達は難しくなるでしょう。日本の映画会社はある程度融通をきかせてくれるかもしれませんが、ハリウッド映画や海外のニュースチャンネルは権利関係に厳しいと推測できます。ハリウッド俳優が登場するコマーシャルもなくなるかもしれません。これまでに比べて放送内容が若干つまらなくなってしまうかもしれませんが、テレビ局は海外で見られることを最優先に考える人にとっては取るに足らないことでしょう。

また、日本のテレビ放送がそのまま海外で受信できるようになると、すでにあるテレビジャパン(北米)や JSTV(欧州・中東・ロシア・北アフリカ)のような日本のテレビ番組を受信できるような専門チャンネルは潰れてしまうでしょう。海外の日本人向けに権利処理された番組を調達して普及につとめてきたのだと思いますが、日本のテレビ番組をそのまま見られるようにするためですから、そうした努力を無に帰すことなど何のためらいも必要ないのでしょう。

もともとテレビ放送を海外に送信することなどアメリカのテレビ局でもやっていません。黙認されているサービスはあるとか、画質が悪ければテレビジャパンや JSTV のような正式なサービスに影響しないという意見は聞かれます。しかし、そうやって定着してしまったのが日本独自のレンタルCDです。アナログレコードの時代には、テープへの録音は劣化するから問題ないと言われ、デジタルテープが登場したときにもデジタル録音では孫複製を禁止することで対処していたはずなのに、技術は進んで元の CD と同じものが複製できるようになりましたが、「複製で劣化しなくなったのでレンタルCDはやめよう」という声は(あまり)聞かれません。

また、政治的、あるいは歴史的に決定された社会の仕組みを変えようとするなら、それが別の要素に作用することを想定しなければなりません。「音楽コンテンツの値段」でも触れましたが、関連性のあるものについて都合のよい仕組みだけを残し、都合の悪い仕組みをなくそうとしても、現実的ではないのです。ユニバーサルサービスを強制すれば都市部のチャンネル数は少なくなり、番組の内容はバラエティばかりになるかもしれません。もちろん、地方ではチャンネルが増え、海外でも日本のテレビを見たいという人も喜ばれることでしょうが、どれほどの人に賛同を得られるかというと疑問は残ります。

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